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【2019 輪廻転生】

21世紀 哲学の転回

哲学史には「言語論的転回」というのがある。「何が本当か/なぜ本当がわからないか」には、言語こそが関係するから、言語の解明こそが不可欠だね、といった態度変更を言う。(それまでは認識=意識こそが真理に関係するとみてきた)

この「なんとか的転回」に倣うなら、21世紀の現在は、哲学に「自然主義的転回」「メディア・技術論的転回」「実在論的転回」という3つが起こっている、と『いま世界の哲学者が考えていること』(岡本裕一郎)は述べている。なるほど、さもありなん、いとおかし。

https://www.amazon.co.jp/dp/4478067023

 

自然主義的転回」では、神経科学(脳科学)を踏まえた哲学を同書は強調している。ただし、私が特に興味をひかれたのは、知的な行動は「脳と身体の共同作業」や「認知と行為の共同作業」でしか捉えられないとするアンディ・クラークの発想。

たとえば、《計算するという「心」の働きは、紙と鉛筆、それから書くという身体の動きと連動してはじめて可能になるわけです》。そう同書は書いている。

そのほか、この本では、道徳もまた神経科学で解明できるとする「ニューロ・エシックス」さらには「行動経済学」までも、「自然主義的転回」の一種とみる。なるほどそういうものかと思う。

なお、この本は触れないが、「自然主義的転回」というなら、記号や意味を人間の観念のみならず自然現象において捉えられないか、生物一般の行動や知能において捉えられないか、という探究こそがそれに当てはまると思う。最近読んだ『哲学入門』(戸田山和久)やデネットの本はまさにそうだろう。

◎哲学入門/デネットの本

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2019/03/02/072423

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2019/09/03/000000

 

「メディア・技術論的転回」では、ドブレという人の主張「中間者こそが力をもつ。媒介作用こそがメッセージの性質を決定づけ、関係性が存在よりも優位に立つ」を紹介。さらに、哲学の対象として技術は無視されてきたことを紹介しつつ、技術を考察せずして人間は理解できないと同書は強調している。

まったくそのとおりだと思う。そして、「メディア・技術論的転回」というのは、早い話、日々私たちがツイッターしていて考えざるをえないことを指すのであり、それどころか、日々私たちがツイッターしているそれ自体を指すのだと、私は確信する。

そうした意味では、進行中の「メディア・技術論的転回」は、進行中の私たちにしか理解できないし実践できない。アリストテレスデカルトもカントもデリダドゥルーズすらも、ツイッターのおかしさ・とんでもなさは、知らなかった。

 

実在論的転回」は、実際は「思弁的実在論」や「新実在論」と呼ばれる。この括り方の出現により現代思想の潮流としては「ポスト構造主義」は過去のものになったかっこう。思弁的実在論の代表とされるメイヤスーの『有限性の後で』は、私も解読に挑戦した(が、大キレットで滑落)

参照:https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20180826/p1

 

さて、『世界の哲学者が考えていること』は、この3つの転回を踏まえつつも、人工知能、バイオテクノロジー、資本主義、脱宗教化、環境保護とかなり多彩なテーマから多くの論者と思想を点描している。これらは哲学というより、もっと日常的・直接的に考えさせられている問題なので、参考になる。

そのなかで最も気になったのは、やはり「ポストヒューマン」という観点(これは『ホモ・デウス』のゴールでもあった)。現代の私たちは、<「神」は虚構だったかなとようやく目が覚めたとおもいきや、「人間」すら虚構かもしれないとうっすら疑い始めた>局面にいると言えるだろう。

そのわかりやすい問いに「遺伝子操作やクローン人間はあってはならないのか」というものがある。それに関して同書はハーバーマススローターダイクといった少し古い哲学者を紹介しているが、なぜか2人ともドイツ人なのが印象的で、「ドイツの哲学」という括りが私には初めて浮上した。

 

◎参照(ホモ・デウス

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20180917/p1

 

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(10.30)

だれの日常にも、仕事もあれば哲学もあり科学もあり芸術もある。ただ、周囲も自分も終止追い立てられ かまってばかりいるのは仕事なので、仕事だけが毎日どんどん実践され改良され充実する(ときに破綻する)。

哲学や科学や芸術は意識して手を打たないと何十年も停滞する。