http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20180605/p1から続く
武田英明さんはまた独特の観点で人工知能を捉え、「グーグル検索は記憶という機能においては人工知能」であり、検索もナビも「十分にスーパー知能」だと考える。こうした見方、私には非常に共感できる。
武田さんは、人間の知能は、生物1個体の知能よりも社会的な知能という側面が大きいとみる。そのときは「知能」に加え「知識」というものが焦点になる。ところが知識は、個体の内部でなく外部にあるために、知能の研究とはソリが合わず、どう捉えてよいかわかっていなかったと、指摘する。面白い!
言い換えれば、「知識とは何ぞや」がわからないことが、人工知能研究のボトルネックだったかもしれない。ところが、グーグルなどが現れて「我々は初めて社会における知能を追求するための対象を手に入れた」と武田さんは期待する。「知識」というボトルネックでこそブレイクスルーが生じる!
知識の研究ということでは、第1段階の実験科学も、第2の理論科学も、第3のシミュレーション科学も、まったく成立していなかったと、武田さんはみる。しかし、情報技術によって「人間の振舞いのデータが大量かつ包括的に得られる」環境が整ったので、今やっとスタートできるというのだ。
そもそも「知識って何だろうね」という問い、私はとりわけ気になるが、同書では、長尾真さんがまた、サクっと、しかし、カチっと、「知識とは?」に答えている。すなわち――
《類似の情報が近くに局在するように記憶され、これら全体が抽象化された状態の下にまとめられたものであり、また関係を持つ知識がつながっている構造であると考えられます》 そうか知識とは「類似の情報」なんだ。いや〜なんという平易かつ的確な定義だろう。
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20180612/p1 へ続く