東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★心の進化を解明する/ダニエル・デネット

https://www.amazon.co.jp/dp/4791770757

 

この話、みんなものすごく嫌がるしものすごく分かりにくいけど、オレが一から十まできっちり落とし前をつけてやるから、ついてこい! ついてこれなくても、ついてこい!!  ―そんなやる気満々のデネット先生。

 

<9月15日>

デネットの分厚い本、少し進む。重厚だがハイテクの列車がホームからゆっくり動き出した心地よさ。これからいくつの駅を通過し、いかなる景色のなかを疾走するのか。長く曲がりくねった道が予想されるが、レールは盤石で曇りなく磨き上がられているはず。楽しみ。

心がどういうものかを解明しようとするとき、デカルトの二元論(物とは別に心の世界がある)という過ちが、今なお呪いのごとく重くのしかかっていると、デネットはまず嘆いている(第1章)

続く第2章では、スティーブン・J・グールドに文句を言う。彼らが適応主義(進化論における仮定)を冷笑したため、自然選択そのもの(進化論における原理)が間違いだというプロパガンダが大きく広がったことを、忌々しく思っている様子。

さて第3章のタイトルは「理由の起源」。デネットは「生命の起源」を「理由の起源」として検討するというのだ。どういうこと? 車窓に現れる珍しい景色。列車の速度も急上昇。それと、戸田山和久『哲学入門』が思い出される。あの本はデネットを参照していた。ともあれ、がぜん面白くなってきた。

第3章 読み直した。サグラダ・ファミリアに「なぜ」この形かの理由があるように、アリの塚にも「なぜ」この形かの理由がある。ただし、アリ自体は「なぜ」という理由を知らないにもかかわらず、アリの言動(塚を作る)には「なぜ」が存する。結局これがポイントだった。

とはいえ、けっこう気になる問いも2つ現れる。1つは「理由を表象する(理由を理解する)のは人間だけか?」。もう1つは謎めいていて、私なりに言い換ると、「人間は理由を探すクセがあるが、そのクセは進化そのもの・自然そのものから必然的に(再帰的に)発したクセかも」。何だろうこれは?

 

<9月16日>

第4章。なんとチューリングダーウィンと同一の原理を示したのだという。え?と思うが、言われてみれば全くその通り。すなわち〈完全かつ美しい計算機械を作るためには、算術がなんであるのかを知っている必要はまったくない〉(ベヴァリーという人の言葉)p.98

このことを読者にわかってほしくて、デネットは、コンピュータ制御のエレベータの話を、噛んで含めるように綴る。そのエレベーターが「有能」であるために、設計者の意図などまったく「理解」していなくてもOKですよね、と。

理解力なき有能性の原理、あと2つ例が出る。どちらも決定打と言いたい。1つはマンハッタン計画。その建設作業において《屋根や土台やドアのデザイナーたちは全く何も知らなかった見込みが大きい》! 

だが感慨にふける間はない。もう1つの例がなんとほぼ同時期、チューリング由来で進行した!!

そう、それは人工知能だ。ただしここでいっそう面白いのは、人工知能の開発が、長く「理解力こそ有能性を支える」という錯誤のもとで、迷走したこと。その反省を踏まえて出てきたもの。それがご存知「ディープラーニング」だ。デネットさん、何でも知ってるね(私が知ってることは何でも知ってる、そりゃ当然)

生物の進化もまったく同じ。デザイナーが不在である点は異なるけれど、理解力を欠いたまま有能性を獲得してきたプロセスであることはまったく同じ。

《今後も、創造論者が生物内部の活動の中にコメントつきのコードを見いだすあてはないし、デカルト主義者が「すべての理解が生じる場」としての非物質的な思考スル事物を見いだすあてはないのである》p.127

 

この旅行(読書)は、デカルト駅に停まり、チューリング駅に停まって、というぐあいに進む。さて「進化心理学」駅は、いつですか? 終着駅ですか? おそらくそうではない。旅しているその土地全体が進化心理学なのだろう。

→ この本を「進化心理学」の解説書とみるのは少し違うようだ。人の心が神秘ではないことを「進化」および「コンピュータ」の視点から解明するという趣旨になろう。

 

<9月28日>

第5章「理解の進化」

動物たちの作為に満ち満ちた行動をいくつも示しつつ、やはりそれぜんぶ「理解力なき有能性だよ」と口を酸っぱくして強調。その上でバクテリアから人間までの変遷のどこかで「理解する」と名づけてよいカラクリが徐々に生じてきた。その図式。

そのカラクリには、この章で出てくる「表象」や「志向性」といったキイワードが絡まざるをえない。この謎(理解・表象・志向性は自然現象の中でいかにわいてくるのか)は、戸田山和久『哲学入門』がまさにデネットを引用して問い詰め独自にシナリオを描いていた(大いにこの章の助けになった)

この章でもう1つ印象的だったこと。デネットは、理解ということが「体験の一種である」という捉え方を否定していること。さらに、理解には「意識が不可欠である」という捉え方も否定していること。理解というものに神秘をまとわせるのを徹底して嫌う、ということだろう。