数学者と一般者の「わからない」ことの同型性

(視聴中)

 

IUT(宇宙際タイヒュミラー)理論がまったくわからないとしても、IUTに関するメタ情報(IUTが現在の社会でいかなる位置にあるか)はとても詳しく知ることができ、しかもその部分は間違いなく誰にとっても面白い、という奇妙な会談。やっぱりZEN大学の独創性が根底にあると思う。ReHacも。

「いや〜ABC予想って難しくてわからないっす」と私が言えば、加藤さんは「なんでわからないの。つまりさ…」と言うだろう。ところがIUT理論については加藤さんも「いや〜難しくてわからないっす」と言うのだ。数学者と一般者の「わからない」ことの同型性が、ここでは初めて発見され体験される!

 

しかし一歩深いと思えることを言うと── 

望月さんによるIUT理論の説明が、ZEN大学側が「わからない」というのは、その説明がAIの言語(コンピュータ言語)には翻訳できない、ということのようだ。曖昧な自然言語と厳格なコンピュータ言語との落差こそが「わからない」の核心にあることになる。

数学者>>>>>一般人 という嘆きが私たちを覆っているが、AI(金持ちに限るが)>>>>>>>>>>>>>>>数学者>>>>>一般人、という時代がすぐそこまで来ているのかも。一般人としては微妙な気持ちだ。

 

しかしここでふと個人的に思うこと── 

近頃はたとえば、キリキリとした欠点のあげつらいばかりが限りなくカスケードしていく、われらがSNS言語空間においては、自然言語もひたすら厳格性を求められ、かつその厳格性に応じざるをえない。すなわち自然言語もプログラミング言語に近づいている。

 

どんどん本筋から離れるが、皇室典範の変更をめぐる国会の論戦というのも、プログラムのその部分をそのように変更したら、法の施行(皇位継承の実施)にバグが生じてしまうじゃないか、いや生じないだろう、といった議論のように見える。

 

会談に戻って、視聴しながらどんどん書くが。川上さんは数学者と一般者を実に的確につなぐ。野村さんは分野の異なる専門家としてもこの問題の特異さに同意する。そして高橋さんは、純粋学問のマニアックさなんてものが一般人にも実はすごく面白いのだという、私の気持ちの正しさを証明してくれる。

 

3つの「等しさ」の概念がここに浮上している。加藤さん「集合的な等しさと、リーンのプログラミム言語的な等しさ(定義が同じ)と、それから望月さんの意味での等しさ。この3つがどういう関係にあるのかが我々にはまだよくわかっていない」(1:20:58〜)

 

ところで、この会談には重大にして歴史的な裏テーマが隠れていた。<AIは数学の証明ができる> …いや最初からそれがメインテーマだった。

最近それが起った例とのこと(以下)