東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★急に具合が悪くなる

『急に具合が悪くなる』
 https://amazon.co.jp/dp/4794971567 

 読書開始。

 

《私が「いつ死んでも悔いがないように」という言葉に欺瞞を感じるのは、死という行き先が確実だからといって、その未来だけから今を照らすようなやり方は、そのつどに変化する可能性を見落とし、未来をまるっと見ることの大切さを忘れてしまうためではないか、と思うからです》(宮野真生子)=「1便」から=

 

私はわりと死ぬことについて考えるほうじゃないかと思うが、例にもれず(私がほかに考えることの例にももれず)その考えは粗雑。もっと精細に考えるとどうなるのだろう。ひょっとして、死とはなにかという問いには、意外に明瞭な正解があり、実際それを理解できるのかもという期待が少し膨らむ。

さてしかし、仮に死を正しく理解したとしたら、私たちはいったいクールになるのか、ホットになるのか、どうなんだろう。それが興味深い。

……いやそういうことが書いてある本かどうか、まだまったくわからない。だいたいどの本もどの生もほぼ予想どおりには進まない

 

ともあれ、先ほどの引用に対する応答から—

《私が医療現場をフィールドワークしていて思うのは、現代医療の現場は、確率論を装った〈弱い〉運命論が多いということです》(磯野真穂)

 

いちいち思いがいろいろ飛ぶので先に進まない本と言えるが、ちょっと思いだしたのは、荒川修作という人が「私は死なない」と宣言していたらしいこと。

ごく単純な話として、「死ぬ死ぬ」とやかましく言うくらいなら、「死なない死なない」とやかましく言うほうが、突飛で面白そうだし、損ではなさそうだし、それに、そもそも死ぬときまでは決して死なないのだから、自分が生きているかぎりこの宣言は永久に正しい。

 

<2月1日>

 

『急に具合が悪くなる』読み終えた。

 

「偶然とはなにか・運命とはなにか」—それを考え抜かざるをえない状況に、まさに偶然、運命のように巻き込まれた人が、しかもきっちりと哲学的な回答に到達し、それを書き下す。

生きていることも言葉を使うことも、たいてい私たちは雑多で無計画で、しかしむしろそうでなければ私たちの生活や人生は前に進まない。そんな逆説も照らし出す本なのだが、それでもやっぱり、雑でない思考は雑でない言葉によってのみ可能であること、雑でない交友も雑でない言葉によってなら可能になること、そういうことを、著者2人の往復書簡は、実証しているのだと、知った。

一方で、思考とは虚構なのだという、真理の裏側にあるもう1つの真理も隠されてはいない。丁寧な言葉とは実は丁寧な虚構なのかもしれない。といっても、それは言葉に絶望することではなく、言葉に希望をたくすことだ。

 

もう1つ。著者2人の生活と対話を眺めているうちに浮かんできたのは「リア充」という形容。本当の良い意味でのリア充。対義語は「孤独」だろうか? そしてふと村上春樹の小説を若いころ読んでいたときの感触を思い出した。僕と鼠の交友はリア充とは感じない。やっぱり孤独という形容になろう。

そしてひょっとして、村上春樹のほうは、偶然と運命に巻き込まれつつも、あまりにもひどくは生きなくてすむような、「リア充とは別の道」を、探して見つける物語を、いつもつづっているのではないか、とか思ったのであった。

 

それからもう1つ。『急に具合が悪くなる』の主に前半は、病気の進行や治療の効果が確率(パーセント)でしか示されず、そのために行く手が分岐し選択も迫られる、という悩ましい状況は、どうやったら打開できるかの、哲学と実践の書にもなっている。

これは、新型ウイルス流行の昨今、次々に報じられるニュースにいちいち揺れてしまう気持ちを、「正しく怖がりましょう」といった名文句だけでは片付けられない人にとっては、大いに参考になる。

パーセントで分岐する偶然や運命を、パーセントで感染する偶然や運命を、さてでは、どう受けとめ乗り越えればよいのか。この本を読んでひらめいたのは、「俺は感染しない」と思ったり言ったり書いたりするのがいいんじゃないか、ということ。(この本にそう書いてあったということではない)

俺は死なない!(俺は死ぬまでは死なない)