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【2019 輪廻転生】

★幸せではないが、もういい/ペーター・ハントケ

2003年に読んだときのメモ。ノーベル文学賞の速報に誘われて以下にコピー。

 

・この小説は母親の死について書こうとするところから、書き始めている。
・母親の自殺が新聞記事として冒頭に示される。51歳。
・そして、書くことの微妙さ、難しさについて、まず書いている。
・そして、書けるようになる瞬間の不思議さや貴重さについて、書いている。
・このことは、なにか日記や回想のような文章を書くこと全般について言えることだと、私は感じる。
・そして、今は、そのような瞬間の状態を過ぎた時点として書いているのだ、という。

・では母親の死を語るということと、それがどう関わるのかについて。
《(…)そして結局、私もこの「自死」を、部外者である任意のインタビュアーと全く同様に、たとえ彼らとは違う方法であっても、一つの事例にしてしまいたいからなのである》

・母の系譜をたどる。祖父は大工で倹約家。息子(母の兄弟)は村会議員。
《このような環境に女として生まれたということは、そもそもの始めから既に致命的なことだった》
《すべてはもう予定調和の中に組み込まれていた。すなわち、ちょっとふざけ、くすくすわらい、一時、羽目を外す。その後で、初めてのよそゆきの沈着な表情》
《このような人生の節目は、既に、その他方の少女たちがよくやっている遊び[人生ゲーム]のなかで、次のように言われている。「疲れた/弱った/病気になった/重態/死んだ」》

・学校の勉強は、ただの子供の遊び。そのあとは家にいる。
《そこには不安はない。ただ、暗闇と嵐の中でおぼえる動物的な不安を除いては……。そして、ただ、暑さと寒さ、湿気と乾燥、快と不快の交替があるのみだった》

《もう何も望むものなどなくて何とか幸せだということは稀で、大抵は、何も望むものなどなくて少し不幸せなのである》
《ほかの生活様式と比較する可能性がなかった……ゆえにもう不足を感じることもなかった?》
《ところが——これが事の起こりだった——私の母が突然何かを手に入れたいという意欲を持ち始めたのだ。彼女は勉強したいと思った。というのは、子供のとき勉強しながら、何か自分自身について感じるものがあったのだ。それは、よく人が「わが身に何かの手応えを覚える」という表現で言っているようなものだった。初めて抱いた望み。それは何度も繰り返し口に出されて表明されているうちに、ついに固定観念にまでなった。母が語ってくれたところによれば、彼女は祖父[彼女の父]に、何かを勉強させてほしいと《乞いねだった》とのことだ。けれどもそれは問題にもされなかった。その一件を片づけるのに、手を振るだけで十分だった。それは、そんなことはとんでもないとの拒絶の意志表示だった》
・そして15.16歳のとき、母は家をでる。
《だが、他のことをする可能性はもうなかった。食器洗いの手伝い、ルームサービス、料理見習い、料理主任になる以外には……「食べることだけは、どんな時でもなくならないからね。」》

・さて、20世紀前半のスロベニアでなく、21世紀初頭の日本であっても、さして状況は変わらないのではないか。

・個人の人生、とりわけ無名の一般人の人生を通してその時代を描くというのは、小説の面白さの確実にひとつの柱だとは思う。『舞踏会へ向かう三人の農夫』が面白かったのも、それは大いに関係ある。

・さて、母は、家を飛びだし、ホテルの料理人としての仕事をはじめる。
・そのころ、ヒトラーオーストリアを併合。
・そのなかで、初めて、共同体という体験を知った、という。
《「集団の利益が個人の利益に、集団の意識が個人の意識に優先する。」こうして、どこにいても我が家のようであり、もうホームシックはなくなった》
・そういうものか。
・しかし、こうした共同体意識も、ナチスが悪行をしなかったら、そのまま良いものであると見ることも可能ではないか。

私有財産について、興味深い記述。
私有財産とは、物質化された自由であるという。はじめて私有財産を手にした祖父には、それが当っていたのではないかという。
《何かを所有しているという意識は、何代にもわたって続いた無意志のあとで、突然、ある意志、すなわち、もっと自由になりたいという意志が形成されるほど解放感を与えてくれるものだった》
・所有するということ、物質化された自由ということ。

《(…)けれどもどっちみち、言葉で表現することはすべて、たとえ実際に起こったことについてであっても、多かれ少なかれフィクションではないだろうか。その度合いは、単なる報告で満足するなら、より少ないものにとどまり、綿密な表現[言語化]を試みようとすればするほど、より多くなる? そしてフィクションが多ければ多いほど、その話は、ひょっとして、誰か他の人間にとっても、単なる報告された事実よりも、その言葉と自分を同一視できるので、むしろ興味深いものになるのだろうか》

・断定的に書くということがいくらか不確かだということはいえるが、私が、私の母について書くといったこの物語においては、一般化はありえない。だが(ここからがポイント?)
《(…)だが、変転しつつ突然終止符を打たれた人生航路を単に再現するようなことも、到底受け入れ難いことなのだ》
・そしてさらに
《無論、このように抽象化し定式化するにあたって危険なことは、それがそれ自身で完結してしまいがちであるという点である。そうなると、みずからの出発点であった人物を忘却する——文章と語法が、夢の中の像のように連鎖反応を起こすありかた。個人の生がただのきっかけとして機能するだけの文学のセレモニー》

《こうして私は、事実からではなく、既に自由に使える定式的な表現すなわち社会全体が共有している言語ストックから始め、このような定式化された表現の中で既に想定されている出来事を母の人生の中から選んで、それにあてはめていった》

・少しおいて――
《それで私は、女の一生を記述する伝記のために用意されている一般的な決まり文句を一文一文、私の母の特殊な人生と比較してみる。そしてそれらとの一致点や矛盾点の中から、書くという本来意の行為が生まれたのだ》

・さらに――
《いつもは、私は自分自身や自分の事柄から出発して、書き進めると共にだんだんそこから自分を解き放ち、最後には、自分も事柄も、仕事の産物および商品として、自分の手から放す。しかし今回は、私は専ら書く者であって、書かれる者の役割を同時に引き受けるわけにはいかないので、うまく距離をとれない。私が距離をとれるのは、ただ私自身からだけである。私の母は、私が私自身を扱う通常の場合とは違って、いつまでも、生き生きとして自立した、少しづつ曇りがとれて透明になっていく作中人物にはどうしてもならないのだ》

・母という特定の人物について、書けない。ということ。当たり前すぎるようでもあるが、一般的に、母と子の関わりというのは、じつに個人的な体験であるということを、改めて考えさせられた。

・小説の描写について
《たしかに、このような描写スタイルは、別のものから借用され書き写されたもののような印象を与える。扱っている時代とは関係がない、取りかえのきく馴染みの歌。要するに《十九世紀》なのだ——だが、まさにそれこそが、ここでは必要とされているもののように思える。というのは、そんなふうに見間違えられるほど、時代から離れた、永遠に同じ単調さ、要するに十九世紀が、まだ相変わらず存在していた》

《私がこの物語に取り組んでいた数週間、この物語の方でも私を振り回しつづけた。書くことは、私が最初のうちはまだ信じていたような、私の人生のすでに完結した一時期を想起することではなく、距離をとっているとただ称しているにすぎない文章のかたちをとって、絶えず想起するふりをしているものにすぎない》

・中盤あたり、他人の話ではなく彼女の話をしようというふうになるあたりから、ストーリーがあまり動いて感じられず、母の心理(精神疾患)の葛藤が過剰に描写されているようで、ちょっと退屈してくる。

・しかしながら、彼女は、また盛り返す。
・無学で貧困である昔の中年女性が、このような歩みをする、このように自我を考える、ということは、やはり、同時代の日本では一般的ではないと思う。西洋の近代というのが、物質的ではなくやはり精神的に、このようなところで普及しているのではないかと、そういうふうにも、日本人の私としては思える。

人間にとって、他人というのは、すべて等距離で存在しているのかというと、大半のほとんど関わりのない他人はそうかもしれないが、親しい他人(友達、知人、同僚)などは、まったくそうではない。とても複雑微妙にいびつな距離感で存在している。そして決定的なのは、やはり父母を中心とした家族だろう。
・人間は、たいていの地域とたいていの時代において、親との関わりのなかで生まれ育ち自立していく。親という人間を通してしか人間というものと関わりが持てない。それは学校の同級生を通してしか人間集団というものとの関わりが持てないのと、似ている。
・これはしかし、人間が1000年くらい生きたとしたら、どうなるだろう。親や兄弟は、いよいよ他人になったり、しかしまた100年後にじわじわ接近し絆が深くなり、そののちまた決定的に決裂する、とかいろいろ考えられる。人生70〜80年というのは、長いようで、短い。

・訳者(元吉瑞枝)は、あとがきの半分以上(?)を、この題名についての記述に費やしている。

 

 

 

 

 

必ず最後に数は勝つ

必ず最後に数は勝つ―― 民主主義を多数決という意味で捉えると、それはもう、雨が降ったり山が崩れたりするのと同じ自然の現象。(いや自然すら超えた原理=数学かもしれない) なすすべなし。

とはいえ、近代というのは、広い意味で、「自然のなすがまま」を、克服できると信じ、本当にいくらか克服してきたのだと思われる。自然を克服したぞ、自然の人間や共同体を克服したぞと。それにあこがれそれを手に入れたと信じられた。奇跡のような宝石のような時代。

その近代が終わる。近代がつかのまだったことがうかがい知れてくる。近代の宝石をまだ手にしたことのない地域や人びとも実はかなり多いのに、私たちの世界は、もはや近代の奇跡からどんどん遠ざかる。「数が勝つ」とはそういうことなんじゃないか。

 

この見解に大いに共感。https://twitter.com/hazuma/status/1177048763187130368

 

私たちは雨粒や砂粒ではないからこそ、ただ降るに任せたり崩れるに任せたりはしない。そんな数のかたまりの力学だけで私たちの社会は動いたりしない。――そう信じていたがもう信じられなくなってきたということ。私たち一人一人が近代より前の ただの雨粒・ただの砂粒に戻っていく、ということ。

じゃあ、いったい何が近代を終わらせようとしているんだろう。ちょっと前までと、たった今とで、私たちの何が変わった? グローバリズムかもしれない。SNSかもしれない。コミュニケーションの過剰かもしれない。直接的には通貨(ドルや円)かもしれない、言語(英語や日本語)かもしれない。

 

 

 

 

 

グレタに共感するとしたら…

グレタさんが「地球温暖化このままじゃヤバイのはわかるよね? なんでみんな受け流してるの?」と焦るのは、私が「オレもキミもいつか必ず死ぬのは知ってるよね? なんでみんな受け流してるの?」と焦るのに近いのだろうか。

 

 *

 

それはそうと、政治環境も悪化はますます著しく日本マジ死にそうだけど、なんだか焦る気もしなくなってきた。

《「【国会食レポ】たまき、タピるー」という動画では、スイカ果汁100%ジュースのタピオカトッピングと、タピオカほうじ茶ラテの飲み比べをするなど若者受けを狙った動画をアップしている》

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