1958年生まれのフランスの作家。米国のリチャード・パワーズが1957年生なので、どう違うだろうという興味が自ずとわく。
5分の2ほど読んだところでは、ウエルベックは冷笑・自閉・絶望といった成分がパワーズより とても多い気がする。ちなみに『ならずものがやってくる』のジェニファー・イーガン(1962年生)は、ちょうどその中間くらいか。
といっても、『素粒子』の物語の中心や主題が何なのか、まだ明確ではなく、結論はまだ先。
主人公の回想と現在を通して語られる1970年代や1990年代。私も本当によく知っているこの時代を、このフランスの人はどんなふうに眺めてきたのか。またその時代の流れの中で年を重ねていくことをどう感じてきたのか。それは私が眺めてきたことや感じてきたことと似ているだろうか。そんな答が見つかればと期待して小説を読んでいる。
ここ数年で読んだ海外小説はあまりにも少ないが、私が金メダルを与えるとしたら、結局『ならずものがやってくる』か。『舞踏会へ向かう三人の農夫』は銀。これらを超えるチャンピオンを待望している!
◎『ならずものがやってくる』感想 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20130518/p1
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7割がた乱交パーティー小説のおもむきだが、主人公のもう1人は優れた分子生物学者で、遺伝子が進化する仕組みの裏には量子力学が絡むのではないかなどと、がぜん私の興味を引きそうなことを考えている。そんな2人の人生がどう決着するのかわからないまま、最終の第三部を迎えた。
《「来月末に定年になるんだ。」ミシェルは呆然となった。何年も、何十年もつきあっているうちに、個人的な問題や、本当に重要な事柄には触れないことが徐々に習慣化していく。しかしいつか、いい機会が訪れたなら、そうした問題、事柄を話し合うことができるだろうという希望もまた捨てずにいる。より人間的で、より完全な関係をいつかは築けるのではないかという思いが、際限なく繰りのべられながらも決してすっかり消え失せはしないのは、ただたんにそれが不可能だからであり、いかなる人間関係も狭く固定された枠に完全におさまりはしないからなのだ。それゆえ、「本物の深い」関係に対する期待が保たれる。数年間、数十年間保たれたのち、決定的な出来事が(一般には相手の死という形で)不意に起こり、もはや遅すぎる、これまで夢見てきた「本物の深い」関係なるものは、ほかのすべてと同様、実現されずに終わると告げるのだ。》(p.294 野崎歓 訳)
《地球上のいたるところで、くたびれ、憔悴しきった人類は自らを疑い、自らの歴史を疑いながら、どうにかこうにか新たなミレニアムに入っていこうとしていた。》(p.325)
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キリスト教がキリスト教以前の世界を終わらせたように、また近代がキリスト教世界を終わらせたように、主人公の1人ミシェルが見出しネイチャーに掲載した科学論文は、近代を本当に終わらせることになったという。このことを小説の語り手は実は最初から予告していたのだが、つまりこういうことだった。
《どんなに進化した種であれ、すべての動物種はクローン操作によって複製可能な、同一の、不死なる種として生まれ変わることができるようになったのだ。》
《その思想とは、人類は消滅しなければならないということだった。人類は新しい種族を生み出さなければならない、それは性別をもたない不死の種族であり、個人性、分裂、生成変化を超克した存在であろう。》
そうなる直前の性をめぐる苦悩と混乱を長々とつづる、という趣向の小説だったということになる。なるほど。
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(あまり関連しないが)
あらゆる労働をクローン人間に任せる遠い未来が見える。あらゆる労働をポエム人間に任せる近い未来のほうが「よりマシ」だと君は言えるか?
◎参照 クローズアップ現代「あふれる“ポエム”?!」http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3451.html