東京永久観光

【2019 輪廻転生】

飽きることについて


# 何事も飽きるので、飽きたら別のことをせよ。仕事に飽きたら趣味、趣味に飽きたら仕事。細切れ生活。これが最も効率的。


飽きるか飽きないかでいうと、本はたいてい飽きる。映画も飽きる。私は音楽すら飽きる。

それに比して、テレビはつまらないと思うことはあっても、いくらつけていても飽きることはまずない。これは一体なんだ! 大いなる謎だ。否応なく勝手に進むからか。本や映画と違い、「ながら見」ができるからだろうか。つまり、見たり見なかったりしているからか(要するに飽きたら見ていない)

いっそう謎なのは、ツイッターはてなブックマークをだらだら見るのは、なにゆえ飽きないのかだ。ネットはテレビのような自動進行ではないのに、やめられない。中断が容易だからだろうか。映画や読書は中断のタイミングが案外むずかしい(一区切りつかないと中断しにくい)

食事はどうだろうか。どんなに好きな物でも飽きるか。3食カレー。どうだろう。1週間カレー。どうだろう。飽きるか。それはしかし、体が飽きるというより、頭が飽きるのではないか。牛などは同じ草が永久に飽きないみたいだが、頭が飽きないからか。(頭があるかどうかという問題になるが)

しかしまあ、朝、ごはんとみそ汁とか、トーストとコーヒーとかを、年中続けている人もいるようだ。それはなぜ飽きないのだろう。飽きるという発想がそもそもないのではないか。つまり、飽きるとは体の問題だけではなく、頭や心の問題だけでもなく、文化や社会の問題でもあるのではないか。


飽きるのは他の動物も共通なのか? ドパミンとかが関係するのか? しかしネットサーフィンだけはめったに飽きないのは何故だろう? タスク(もしくは情景)を、自在に、際限なく、切り替えられる、からか?


――というわけで、本は3冊くらいは同時にキープし、読みたい時だけ読みたい分だけ読む。飽きたら次の本、また飽きたら次の本。(それにも飽きたら仕事、すぐに飽きて寝る)

今は『進化大全』(カール・ジンマー)、『素粒子』(ミシェル・ウエルベック)、『言語学の教室』(西村義樹野矢茂樹)。