リチャード・パワーズ『囚人のジレンマ』を思い立って再読中。残りの人生はそう長くない(そう短くもないが)。本当に熟読したい小説は多いようでそう多くない。『挟み撃ち』も再読して本当によかった。
前に読んだのは2009年。
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20090401/p1
感想はまた書くが、一つ言っておくと、感想の文体はその小説の文体に似る。単純というか正直というか。だからパワーズは感想も込み入るのが定め。
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(8月7日)
リチャード・パワーズ『囚人のジレンマ』再読やっと完了。
「この小説は一体なんなんだ」と再び途方にくれて呟くほかない。家族って何だ・戦争って何だ・そして小説って何だ――言ってみれば、当然ながら、そうしたものを描いているのだろう。どうしたってそのように考えることになる。
そして、周知のとおり複雑にして多層にして珍奇でもある、家族や戦争や小説というものを、十分な時間を費して見つめてみたならば、かくも長く回りくどい書きものを、そして読みものを、作家自身にそして読者諸氏に強いることになるのは、仕方のないことだ。
各ページ各ページの叙述は多大すぎ混み入りすぎ。満を持してしかし奥ゆかしく置かれたと思しき、無数の痛切と明媚と皮肉。その何パーセントを私は受けとめられただろうか。多くの伏線とその回収も見逃してばかりだろう。以前の読後にもたぶん同じことを思ったにちがいない、「100回読まないと」と。
それでも、たしかに受け止めたと感じられる、たった数パーセントの部分ですら、比類のない破壊力を持ち、閃光を放つ。(そういえば運命ともいうべき8月6日に読み終えたのだったか?)