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【2019 輪廻転生】

★ペパーミント・キャンディー(イ・チャンドン)

ペパーミント・キャンディー』(イ・チャンドン監督・1999)がアマゾンプライムにあったので視聴した。3度目か。

韓国映画をたくさん見てはいないが、個人的に1番のオススメをあげるなら、間違いなくこの1作。何年たっても揺るがない。

ただそれほどの作品なのに、タイトルがペパーミント・キャンディーだった理由をほぼ忘れていた自分にあきれる。しかしその分、ペパーミント・キャンディが人を思う心の1かけら1かけらであったこと、しかしそれが文字通り踏みにじられる決定的な事件があったこと、初めてのごとく痛切に身にしみた。

=全体的にネタバレ注意= 

なお、その決定的な出来事は映画の終盤「1980年 5月」の章で起こる。すなわち光州事件。映画『タクシー運転手』が正面から見つめたものを、この映画は裏面から=心優しく不器用な一人の兵士が巻き込まれてしまったあまりにも悲しく痛ましい一幕として描く。

韓国の現代史を左右する決定的な出来事が、たまたま主人公の純愛の行方さらには人生選択にとっても決定的だったということ。いや、どちらが「たまたま」なのだろう、と考える。映画でも「1980年5月」と示されるが、事件の名称も固有の地名もあえて明示されない。

光州事件につながる1987年の市民運動がまた、主人公の半生の結節点になる。このとき主人公は運動家を拷問にかける警官になっている。かつては川辺で草の花を摘み写真にとりたいと思った心優しい人物が、大きく変容したのだ。そのことを私たちは、映画の進行とともに最終的にありありと知らされる。

しかも、その運動家を拷問にかけた主人公の手は、3年前には、主人公の純愛の行く手を自ら完全に叩き壊した手でもあった。比喩的にもそうだし事実としてもそうだった。(映画は出来事の連鎖であるせいか、そうした寓意の設定や読解がおのずと喚起されるが、イ・チャンドンにはそれが多いと思う)

 

こうして警察署や警官は物語に大きく絡むのだが、往時のその暴力性、男尊女卑、ホモソーシャル性がまた、嫌というほどリアルに描かれる。ポン・ジュノ監督『殺人の追憶』も警察のひどさを見せつけていたが、警官たちのおっさんくささにおいては、この映画が大きく上回っていると言いたい。

それにしても警察の雰囲気をなぜこれほど本物っぽく描けるのかと感心し、ひょっとして監督は…と思いきや、Wikipediaには「1970年代後半から民主化運動の中心的存在として活動した」とある。なるほどそっちの側のリアル体験かも。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3

 

ところで、イ・チャンドンの映画では、そのつど切り取られる街中の雑然とした光景が、なぜか瞬時に目をくぎづけにする。まるで旅先で偶然出くわしたような、なにげないリアリティ。しかし、その光景こそが、その街やその人や進行中の事情をすべてまとっているかのように感じてしまう(続けて視聴した『オアシス』でも強く思った)

これは、ちまたに猫のスナップがあふれているなかで、特にひきつけられるのがどんな種類かの好みのようなものかもしれない。たとえばー https://twitter.com/wtbw/status/1296450679247122433

 

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(8月23日)

『ペパーミント・キャンディ』についてもう少し。

この映画は、1999年の今日→その3日前→1994年→1987年→1984年→1980年→1979年と時間軸を逆走していく。ヘンテコだが、考えてみれば、私たちは回想というヘンテコなタイムスリップを常にしている。自身は過去に戻れないが、思考は自在に飛び移れる。

そんなわけで、1979年の初恋は、兵役で離れ離れにされても、80年までは毎日現在のように息づいていただろう。しかしその80年に初恋はおそらく消え去った。ところが84年になってそれが思いがけず現実として蘇る。さらに87年にはそれが否応なく回想として痛烈に蘇る。

そして、主人公が自らの人生を終わらせようと決断した1999年、消え失せたはずの叩き壊したはずの初恋が、卒然とタイムスリップしてくる。本当は忘れられるはずなどない、しかし絶対忘れなくては生きていけない、そんな初恋が、まさか今の今になって蘇る。しかもなんと瀕死の状態で。

主人公にとって、成就しなかった初恋とは、踏みにじられるばかりだった初恋とは、しかもどうしても再会するために出かけざるをえなかったこの時間旅行は、はたして人生の呪いだったのだろうか。はたまた人生の救いだったのだろうか。

 

歳月を遡るたびに主人公の境遇や性格が変転していくことを、そのつど演じ分けたソル・ギョング。彼の妻ゆえの絶望と堕落を荒々しく体現したキム・ヨジン。どちらも見事。しかしそれより印象に残るのはやはり初恋の人ムン・ソリ。まさに野の花のごとき はにかみ。心の傷の深手にも 涙一筋で無言。

 

フィクションが体験を凌駕することはそもそも難しい。たった1つの身体をたった100年足らずしか持ち得ない私にとって、体験とは、それがどれだけつまらなくても、比類なき唯一の事実だから。人生だから。しかし、体験を凌駕するほどのフィクションが稀にはある。だからそれはものすごく素晴らしい。

 

(8月25日)

『ペパーミント・キャンディ』についてもう少し。

Wikipediaには「韓国とNHKの共同制作で、1998年の韓国の日本文化開放後、両国が最初に取り組んだ作品」とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC

韓国で日本の大衆文化(映画や漫画や歌)が流通するようになったのは、ほんの少し前でしかないのだと、改めて驚く。世界は、とりわけ東アジアは、グローバルでないのがむしろスタンダードだった長い時代を、すっかり忘れているということ。

そもそも韓国は国連加盟すら、オリンピックも終えた1991年にやっと果たしている。日本の植民地支配のあとも、朝鮮戦争、東西冷戦、そして光州事件を起こした軍事政権が、今から思えばとても長く続いた。

 

私の知識や関心がグローバル化しない時代もひどく長かった。1980年光州事件の記憶はない。それどころか初めてソウルを旅行した1988年でも何も知らなかった。街中のレンタルビデオ店に入って「日本の映画ってあります?」などと質問し、けげんな顔をされた。(あるはずがないことを知らなかった)

だから私は、ソウルという都市を、基本的には、映画より先に旅行で体験した。これはわりと珍しいことで、ヨーロッパやアメリカの都市なら、一回も行っていないのに映画では何度も見て知ったつもりになっている。ソウルはいきなり観光。さらに映画はあまり見ないまま、二度、三度と観光。

だから何だと言うこともないが、韓国は、なんというか、「おい、これ、おまえのお兄ちゃん」と、ものごころついてから急に会わされたような、なんか変な親近感を、ずっと持っている。

では韓国はどんな国か。日本に似ていると思う。「似てないよ」という人も多いが、私が似てると思うのも事実なので仕方ない。ところが似ていないところも当然ある。イ・チャンドンの映画でいうと、たとえばキリスト教の存在感はその代表かもしれない。

『ペパーミント・キャンディ』では主人公の元妻が嬉しいときも辛いときも祈りを欠かさないが、珍しいことではないのだろう。そのあとAPで見た『オアシス』(イ・チャンドン監督)では、神父がお節介な感じで二度尋ねてくる。二度目は警察から主人公が逃げ出すきっかけになるという皮肉な役回り。

同監督の『シークレット・サンシャイン』も傑作・問題作だと思うが、=ネタバレ注意= この映画では、主人公は幼い息子が殺されてしまうが、犯人の男は刑務所でキリスト教を信仰し始め、多いに悔い改め、なんと魂的にはとっとと救済されてしまう。そんなきわめて後味の悪い展開を見せられる。

 

『ペパーミント・キャンディ 』最初の鑑賞