東京永久観光

【2019 輪廻転生】

映画Disk鑑賞記録 2016年 (1)


私の少女/チョン・ジュリ(2015年 日本公開)
 私の少女 [Blu-ray]

以下ネタバレありなので注意。

エリート女性警察官(ペ・ドゥナ)がひとり田舎町に署長として赴任してくる。どうみても訳ありで陰鬱な人なのだが、それ以上に町全体がきわめて因習的で、ある少女は義父らからひどく虐待されたりしているので、そっちのいやなムードにまず引っぱられていると、実は彼女には同姓の恋人がいたことが後から明かされる。それが影響して配転されたのだ。そこまで、この田舎町の出来事を絵に書いたように閉鎖的だなと余裕をもって眺めていた観客も、不意打ちを食らう。少女をかくまっていた彼女がいかなる複雑な思いで一緒に暮らしていたのかも、しのばれてくる。しかもそれに伴う誤解から彼女自身が逮捕されてしまった。そこにはもう微温的なものは一切ない。同僚はただ詰問し叱責する。あまつさえ手錠を掛けられ留置所に入れられてしまう。向かいの檻には、地元の漁港で酷使され反抗して捕まった外国人労働者がひとりたたずんでいる。

差別というのは本当はこのように手錠され留置される感覚に近いのではないか。そんなことが初めて身にしみた。

それはそれとして、監督は新人で女性なのだが、イ・チャンドンがプロデュースしている。そんなことから、『シークレット・サンシャイン』(イ・チャンドン監督)で、主人公(チョン・ドヨン)が車を運転しながら見知らぬ地方(密陽)に移住していく冒頭シーンが、思い出されてならなかった。『私の少女』も同じく忘れない映画になるだろう。初めての町は、そこへの移動もそこでの滞在も、旅行であれ映画であれ、同じく謎であり魅惑でありうる。これまた何度も言うが、韓国という隣の似ているような全然似ていないような、おかしな国の地方の町なら、なおさらではないか。

シークレット・サンシャインhttp://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090620/p1


海街diary是枝裕和(2015年)
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文句なく良かった。ただ、その良さの多くを原作(漫画)に負っているとは思った。しかも、心にしみるそのストーリーに加え、鎌倉という飛び抜けて麗しい土地を実際に映すことができ、郷愁の化身とでも言えそうな日本家屋も用意され、魅力に満ち満ちた女優4人がそろい、脇の役者もみな充実している。あまりにもリソースに恵まれていると思ったのだ。が、そのリソースをこの映画はまるまる100%生かしたとも感じられた。素晴らしい。


カンウォンドの恋/ホン・サンス(1998年)
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女は男の未来だ/ホン・サンス(2004年)
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ハハハ/ホン・サンス(2010年)
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ソニはご機嫌ななめ/ホン・サンス(2013年)
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ホン・サンスを初めて鑑賞。この独特のグダグダ感、最初は戸惑うが、いったんハマると心地よく癖になる。韓国映画といえば私には、『殺人の追憶』『母なる証明』『チェイサー』『オールドボーイ』といったイメージが中心にあるが、もちろんそれらとは明らかに隔たっている。まだ4作だが、ホン・サンスの映画が他とごっちゃになることは絶対ないだろう。

ある女性がなんとなく気になり、あるいはひたすら好きになり、いつまでもふりまわされ、しかしいつもすれちがう男たち。そんな構図がだいたい共通する。女性はいずれも「きれい」や「かわいい」が際立つ役柄ではない。また、男性一般に対し はっきりした媚びは示さず、とはいえ かたくなに拒むわけでもない。だから、彼女らの個性や魅力は一言では語りにくい。むしろそのつかみどころのなさに男たちは惹かれてしまうようでもある。あるいは、男たちがただ愚図で浅薄なだけかもしれない。それを「なんだ、これ?」と思うか、「ああ切実にそうだ!」と思うかで、この監督への評価はまっぷたつに分かれるだろう。

最初にみた『カンウォンドの恋』はカンウォンド(江原道)というところへの小旅行から始まった。山や渓谷もあれば海岸もあって風光明媚な土地だが、シーンが醸し出すのは観光がもたらす高揚感ではなく落胆や鎮静のほうだ。しかし、だからこそ無性にそこに行ってみたくなる。これは実はホン・サンスの映画の魅惑そのものではないか。さまざまな街のありふれた光景もまた、それぞれの映画でよく眺めさせられる。人物たちが飲食店のテーブルでずっと向き合って話していたり、マンションの部屋でぼんやりと過ごしていることも多い。映っているのは平凡なものばかりで特に意味があるようでもない。その何でもないところが映画全体の雰囲気に重なる。つまらないと思えばひたすらつまらないだろうが、それがおもしろい、おかしいと思えば延々見ていられる。

最後に『ソニはご機嫌ななめ』をみて、そうだ、そういえば、このホン・サンス映画のグダグダ感というのは、ボンクラな大学時代の暮らしや気持ちのベースをなすトーンそのものじゃないか! と気づいた。ほとんど忘れていた日々がじっとりと蘇った。大学という空間に特有の浮世離れした緩さやモラトリアムの感じ。実際これらの映画では男女とも大学の教官や学生であることが多い。


――ところで、先日ツイッターに以下のことを書いた。

映画ってつまるところ「ものを見ること自体が楽しくて」見るのではないか。そんな本質的なことを、人生も半ばをかなり過ぎてやっと自覚する。「ことばを読むこと自体が楽しくて」読むのが小説だと、こちらは人生の中盤くらいで気づいたが、それと同じようなこと。

もちろん、私たちの目の前には、四六時中さまざまな光景があるし、あれこれ言葉を言ったり聞いたり読んだり書いたりしているけれど、それをいちいち意識したり、フレームとして切り取ったりすることは、めったにない。映画の画面や小説の文章は、それをさせる。

小津安二郎は私の目を治してくれた」とヴィム・ヴェンダースが言ったらしいんだけど、その意味が少しわかるように思う。http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20151216(こちらのブログを参照)

(なお、『ハッピーアワー』は、「見ること」にとどまらず、なにかこう全体的に「そこにいること」への意識を自覚させる、みたいな映画だった)

とはいえ、映画も小説も筋書き(ストーリー)は不可欠ではあるのだろう。その支えがないと、見ることや読むことに集中するといっても、そう長くは続かない。ただ、ストーリーが面白すぎると、一定のフレームで切り取られた画面や文章だけに触れているのだということを、つい忘れる。

逆にまた、ふだん何気なくそこにある光景や言葉でも、ふとしたきっかけで、部分的に切り取ってしまったり妙に見つめてしまったりすることがある。そういうときは、映画や小説に触れるのと同じように、現実に触れているのだろう。旅行などもそれが究極はそれが楽しいのではないか。

改めて結論。1つのカットや1つのシーンに、ときに何故これほど引きこまれるのか、いつも不思議だったが、結局はそこに、意識とか認知とか自分とか他人とか関係とか人間とか社会とか世界とか、そうしたあらゆることの感触が、ありありと感じとれるからだろう。見るのが楽しいとはそういうこと。


――とはいうものの。

映画をみるには「テーマをつかむ」こともぜひとも必要だしきわめて有益だ。なぜなら自然の風景や都市の風景にはテーマなどないが、映画は通常テーマを持って作られるからだ。難しい話ではない、「いったい何が言いたいのか」「何のためにこのシーンをこのように見せるのか」、それが映画のテーマだ。そして、そんな当たり前のことを何故ここで言い聞かせているのかというと、私は映画の大事なテーマをよく見つけ損なうように思うからだ。トンチンカンな解釈をしばしばしてしまうからだ。

たとえば『桐島、部活やめるってよ』を鑑賞しながら、私は「これはスクールカーストがテーマだな」と自覚したかというと、実におぼつかない。そんな重大なことに『映画系女子がゆく!』(真魚八重子)という本を読んで気づかされた。
 映画系女子がゆく!


桐島、部活やめるってよ/吉田大八(2012年)
 桐島、部活やめるってよ (本編BD+特典DVD 2枚組) [Blu-ray]

上記の本はこう書いている。《この映画はスクールカーストを明瞭に描いていて、体育会系の軒並み長身なジョックスと、縦巻きロールのパーマがツヤツヤし、学校でもリップグロスを欠かさないような美少女軍団クイーンビーたちが、自信満々な様子で闊歩している》。一方で映画部の前田(神木隆之介)たちはオタク(ナード)として下位のカーストに位置づけられる。《でも将来的にはやはりジョックスに魅力を理解されなかったナードな女子が、サブカル文化系女子として脱皮し、ナードな男子の理解者となって現われるのだろうから、「いまは童貞でも気にすんな!」と思う》。

この分析は、今から思えば『桐島』をみたときの全体の印象を見事に言い当てている。でもその時点で私は「スクールカースト」というズバリのキーワードを思い浮かべたっけ? 少なくとも「ジョックス」や「クイーンビー」という用語は今回初めて知った。いろいろ心配になって『桐島』を借りて鑑賞し直した次第。

それにしても改めて思うのは、映画にテーマがあってもテーマは明示されないということ。「これはスクールカーストを描いた映画です」と冒頭でナレーションが入ったりは通常しない。それでも観客は映画をみてスクールカーストということに考えが及ばなければならない。

もっと単純な話をすれば、「恋愛」がテーマだからといって「これは恋愛映画である」と断りが入ったりはしない。ある人物がある人物を好きになっても「好きだ」という台詞があるとも限らない。人物の微妙な仕草や風景の微妙な変化などから「ああ彼は彼女が好きになったんだ」とピンと来なければ、どうしようもない。

自分がそんな深刻なボンクラでなければいいのだが…… (映画のテーマに気づけない者は、人と一緒にいて人の気持ちにも気づけないのではないか。大丈夫だろうかと、やはり心配)


反撥/ロマン・ポランスキー(1965年)
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これも『映画系女子がゆく!』に紹介されていた一作。再鑑賞。

この映画は《より直接的に、性嫌悪とセックスへの憧れで狂気に至っていく娘》を描いていると端的に指摘する。カトリーヌ・ドヌーブが演じるキャロルの心理にも深く分け入り、《彼女は道を歩いていて、コンクリートの地面にY字型のひび割れが入っているのに気をとられ、気がつくと何時間も見入っている。その形は女性の股間を想起させるし、割れるということが処女喪失の隠喩でもあり、精神が引き裂かれていることも象徴しているだろう》ということまで書く。

同じく私はすでにみていたが、こんな理解できていたっけ? やはり猛烈に心配になってまた借りた。

ともあれ、読んで映画をみて、映画をみてまた読んで、そもそも記憶を大きく超えて面白い映画だったことを再認識した。

そして、同書のような言葉にはなっていなかったものの、キャロルの核心にある異様さは間違いなく感じ取れていたと思う。それは感受性の微妙な拘りや歪みなのだが、それをカメラはそのつど映し出す対象への見つめ方の拘りや歪みとして浮上させている。その執拗さこそポランスキーならではなのだろう。鈍感な観客でもつい目を凝らし胸騒ぎを覚えずにはいられない。

とはいえ、それが同書のようなドンピシャの言葉によって説明されると、同じ映画がまるで覚醒剤を打って見たかのような強い体験に変わる(いや、覚醒剤は知らないが)

最後のシーンも以下を読んで完全に納得した。

《他の見物人には理解できなくても、キャロルにとっていちばん身近な、性の香りがしていた男性であるマイケルが、キャロルの錯乱と反乱を受容する。その演出は淡く、はっきりと感情が描かれるわけではないが、抱き上げ、抱きかかえられた二人の間に拒絶はなく、ほのかに赦しのような空気が流れている》


アメリジャン=ピエール・ジュネ(2001年)
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久しぶりにみたが、いちいち面白い、ことごとく面白い。これも『映画系女子がゆく!』が紹介していたのだが、『アメリ』の良さは説明なしでも十分わかると思う。ただ、「好き避け」という俗語がありそれがアメリに当てはまることが指摘され、そこはへえ〜と思った。

なお、同書は「映画系女子」を冠しているが、むしろ、著者自身がそうであるという「文化系女子」の生態を映画作品から読み解くという主旨の本だ。そしてアメリは「文化系女子」であり、ひかれあうニノも「文化系男子」だと同書はみなす。ここでは「文化系」とは「オタク」や「引きこもり」の言い換えでもあろう。オタク万歳! 引きこもり万歳! そうでなくして『アメリ』の良さがわかるものか。


ノーカントリー/コーエン兄妹(2007年)
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ブルーレイで再鑑賞。濃い鑑賞眼をもった鑑賞者に狙いを定め、映画職人としての完璧さをどこまでも追求し、しかも盛りすぎず端正に叙述していく、という印象がいっそう強くなった。

また、語るべきは主人公の凄さだけではない、トレーラーハウスの実直な女管理人とか、山ほどの鶏を車で運んでいた貫禄のある農夫とか、市井のアメリカ人の雰囲気が、じつに見事に造形されていると思った。だからこそ あっさり殺される怖さもリアルになる。(1980年の設定だが、現在のアメリカにもあんな感じの人はいっぱいいるんだろうか)


★隣の女/フランソワ・トリュフォー1984年)
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実は初鑑賞。「これぞトリュフォー、最高」と感じたが、かなり晩年の作品なのだった。それにしても、男のほうは誠実でもなければ純真でも執拗でもない。わりとテキトーで身勝手。女を演じたファニー・アルダンは、のちにイタリアのゲリラ赤い旅団を「魅力的で情熱的」と評したそうだが(以下参照)、役柄とは完全一致。

ウィキペディアファニー・アルダン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3


フォレスト・ガンプ/一期一会/ロバート・ゼメキス(1994年)
 フォレスト・ガンプ 一期一会(Blu?ray Disc)

再鑑賞。同時多発テロイラク戦争リーマン・ショックオバマも大統領もまだなく、今や懐かしいアメリカとも言える。


ハッピーアワー/濱口竜介

劇場鑑賞 → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20160102/p1


雪の轍/ヌリ・ビルゲ・ジェイラントルコ映画

劇場鑑賞 → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20160115/p1


レイプ/東陽一(1982年)

初鑑賞。田中裕子主演。



――大昔いとしこいしの漫才で、いとしが妻からもらうわずかな小遣いとその使いみちを細かく説明し、最後に2円が残ったので「その2円はいったい何や?」とこいしに聞かれ、「これは僕の娯楽費や!」と答えるのがあった。2円はパチンコ玉1個の値段。それが毎日のひそかな楽しみだというわけ。あるとき私はふとこの漫才を思い出し、私の場合「娯楽費は100円だな〜」と思った。旧作映画のディスクを街でレンタルしてくるのは、長い間になんだか私の唯一の楽しみになった。1枚約100円。郵送レンタルやオンデマンドもいよいよ普及してきたが、1枚1枚を借りたり返したりするために家から店まで歩いて往復するのは、運動不足の解消にも役立つ。そんなわけで、この映画感想報告は、まだまだ続くだろう。



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