今週は忙しかったが、アマゾンで柳町光男の映画を続けて視聴した。『さらば愛しき大地』(1982)と『十九歳の地図』(1979)。2作とも久しぶりの視聴だったが、いずれもどぎつい写実に圧倒された。この監督の名が忘れがたいのは、それゆえだったのだと思い返す。
『さらば愛しき大地』は、昔ながらの農村が急に工業化にさらされるという、20世紀ほとんどの国で進んだ変動を描いた映画の1つ、と思っていたが、それ以上に、これは覚醒剤の害を描いた映画だなと、思い直した。
とはいえ、縁側から田んぼが見える農家の住宅や、根津甚八と秋吉久美子がにわかに移り住んだ殺風景で安普請の住宅や、田んぼが高く売れたからだろうと思われる蟹江敬三のむやみに立派な住宅。そんなところに、第一次から第二次へとにわかに産業転換した経緯は、やはり刻印されている。
そして、それは、霞ヶ浦かいわいと思われる水辺や、鹿島の工業地帯に連なって走るトラックといった個別の光景、言い換えれば、一般的ではない具体的なあるとき・あるところのお話として描かれることで、なんだか痛いほど胸を打つ。
ただし、「どぎつい写実」と言ったは、それらに増して、山口美也子のシーン(とりわけ小林稔侍とのシーン)を指している。これにより山口はブルーリボン賞助演女優に。
もちろんこれは秋吉久美子の映画でもあろう。柳町監督は「あそこまでいいとは予想しなかった。あれは彼女の力だと思います」と述べたそうだ。=Wikipediaによる=(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%E6%84%9B%E3%81%97%E3%81%8D%E5%A4%A7%E5%9C%B0)
『十九歳の地図』は、ごぞんじのとおり、新聞配達の少年と大人、さらに新聞販売店と経営者もふくめた、やるせないというか、やりきれないというか、そんな日常の、どぎつい写実。
しかし最もどぎついのは「かさぶたのマリア」。『大地』の山口美也子に相当するか。マリアは原作(中上健次)では語られるだけの人物だったようだが、映画では降臨。そして身投げししかも死にきれなかったと独白する。演じる沖山秀子が実際に自殺未遂をしていたことを知って、心が重くざわめく。
『十九歳の地図』を私はたぶん主人公の年ごろだったときに初めて観た。少年の不器用さやいじけは、自分のことのように身にしみた。次に観たときは10年以上経っていた。そのときはなんと蟹江敬三の身になってしまった!(「三十男」と若者から蔑まれている) その境遇の希望のなさが恐ろしかった。
◎さらば愛しき大地(過去の鑑賞)
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20110723/p1
◎十九歳の地図(過去の鑑賞)
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20100223/p1