東京永久観光

【2019 輪廻転生】

年越し前やっとゴミだし


カラマーゾフの兄弟」をとうとう読み終えた。最後は大晦日の第九をおもわせる盛り上がりだった。これで私も「カラマーゾフの兄弟」を読んだ人だ! ……この表現はあるウェブ日記にあった「今日から僕は『言葉と物』を読んだひとだ」から拝借。

きのう成田を発った日本人は4万7千人という。じゃあきのう「カラマーゾフの兄弟」を読み終えた人も、他に何人かいただろうか。世界中ではどうだろう。ブログに書いた人もいるだろうか。

文学信徒にとって「カラマーゾフの兄弟」は、訪ねないわけにはいかない聖地のようなものか。世に出てから120余年。しかしながら「カラマーゾフの兄弟」の主旋律の一つというべきキリスト教は、もう2000年生き続けている。「カラマーゾフの兄弟」もそれくらい読み継がれるだろうか。あるいは文学を誰も信仰しなくなる日がそう遠くないのか。

書物はパソコンの読み書きに比べ携帯性に優れているとされるが、この重さ厚さ(集英社世界文学全集)ではどうしようもなかった。なお文庫が新しく出たようだ。ASIN:4334751067

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テオ・アンゲロプロス旅芸人の記録』をみたのは今週初め。下高井戸シネマ。そのあと完全採録シナリオも読んで、もう完全満腹。同シナリオは『アンゲロプロス 沈黙のパルチザン』という本にあった。ASIN:B0001FAGRQ ASIN:4845996553

大戦前後のギリシャのややこしい歴史を、世界や日本の普通の人々が丁寧に顧みる。そんな機会はこの映画が存在しなければあまりなかったのではないか。日本にもそのような役割を果たす映画があるのだろうか。

なお、さっきと似た話だが、『旅芸人の記録』の下敷きになっているギリシャ神話は2000年を遙かに超えて語り継がれてきた。では映画というものは、今後何年くらい生き延び、伝えられていくのだろう。それは分からないにしても、その最後の最後まで上映されそうな作品を現在挙げるなら、『旅芸人の記録』は必ず入るだろう。

カラマーゾフの兄弟」や『旅芸人の記録』はまさに世界遺産というかんじ。

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一方、自分遺産もある。田中小実昌ポロポロ」。ASIN:430940717X

カラマーゾフの兄弟」はイエスを蘇らせることで近代の西洋になにかこう「全的な救い」を与えようとしたのだとしたら、「ポロポロ」は「個的な救われ」そのものじゃないだろうか。昭和の島国の片隅で奇跡が実際に起こってしまっている、それこそポロっと。この魅力は読まないとわかりません、でも読んでみればきっとわかります、みたいに愛でられてきた作品を、初めて読んだわけだが、そういう評判はおろそかにはできないと思った。

しかしこのポロポロという、呟きにしろ表記にしろ物語にしろ、一般的にみてショボい。胡散臭くもきこえる。しかしそのショボさ胡散臭さゆえに奇跡と救済を信じていい気がしてくる、というところがある。

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そういうところから、直前に読んでいた「エスケイプ/アブセント」(絲山秋子)で出てきたニセ(?)神父と主人公との交友を思い出した。ASIN:4104669024

あんなヘンテコな人物がしっくり話に収まってしまい、ああいう出会いや行いにこそ救いがある真実があるとすら思えそうなところに、「エスケイプ/アブセント」の好ましさがあると思った。

絲山秋子をもっと。それで「袋小路の男」を読んだ。ASIN:4062126184

これも「エスケイプ/アブセント」と同じく途中でやめられない面白さだった。しかしなんだかあまりに完璧によく出来た小説で、かえって騙されている気もしてきた。よく出来た話でもあるのだが、それはべつにいいのだ(我々は誰だって自分の人生はよく出来た話として捉えてしまうのだから)

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それと、ちょっと思い立って高橋源一郎一億三千万人のための小説教室』も読み返した。ASIN:4004307864

小説への媚薬かな、これはやっぱり。限りなく飲みやすく、限りなく速く効くところの。いやいや、立派な栄養剤と言うべきか。とにかく心から小説を信じたくなってしまう薬。

詩が恋だとしたら、小説は結婚生活だ。単に生活でもいい。常に面白かったり輝いたりするわけではまったくない。また同じ足踏みの繰り返しかと、がっかりすることがよほど多い。その意味や正体を考えてもいっこうに見えてこない。だったらそんなものもう読まなくていいよ。何度もそう思う。が、実際にはまた読み始めてしまう。どうやら私は死ぬまでそれを止めないだろう。千年も生きるのでないかぎり。そうした勤行が小説信仰の証しなら、私も信者なのだろう。(といってもまあ、あまり読んでないんだけども)。

『一億三千万人のための小説教室』は お手本をいくつか挙げる。この作家の文章ならぜひ自分で真似てみるといいですよと。その代表が太宰治高橋源一郎自ら真似たのが「女生徒」であることも知られている。

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それで「女生徒」が急に読みたくなり、読んだ。

かまどの炊きたての白いご飯みたいに感じられた。ああ、今まで読んでいた文章なんて全部コンビニ弁当だったのです、というほど。

じつは「女生徒」は青空文庫で読んだ。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html

データをアップルワークス(マックの備え付けワープロ)で開き、縦書き表示しかもスライド形式にした。これが予想外に静謐な時間を与えてくれた。その間ネットサーフィンできないのもよかった。

ついでに小林秀雄とか青空文庫で探したら、ない。そりゃそうだ(83年没)。太宰は心中で早死にしてくれたおかげなのだ。ちなみに三田誠広さんは絶対心中などしない様子。80までも100までも生きてください。コピーは三田だけどタダではさせない。いやそれはそれとして。

その勢いで太宰を他にも読んでみる。「彼は昔の彼ならず」「令嬢アユ」など。そうかこういうことだったのかな。太宰がそっと愛される理由。日本の文芸書はいまだに太宰治夏目漱石だけがよく売れるというが、私も今ごろになって太宰ファンの仲間入りができる気がしてきた。そのうち「太宰がさあ」とか名字で呼んでみても許される。ASIN:4101006016 ASIN:4309405495

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そのあと『溺レる』なんてのも読んでいる。川上弘美。まだ半分。しかし、う〜む、のっけからこの文章にはまさに溺れる(内容にも)。ASIN:4167631024

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……まだまだたくさんあるのに。もう間に合わない。