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【2019 輪廻転生】

グッド・バイ/太宰治(新潮文庫)


生誕100年なので太宰治を少しだけ読む。

標題の「グッド・バイ」は、十人の愛人とこれからあの手この手で順に風雅に別れていきます、その実況報告をいたしましょう、というひたすら人を食った話。未完の絶筆として知られるが、「人間失格」のような深刻な絶望とは無縁。しかし、1人目との別れはあっさり成功するものの、2人目の女がすこぶる曲者で主人公は大いに苦戦。湿ったところのまったくない可笑しさにクスクスしていると、唐突に小説は終わってしまう。残念。この1人目の女は、太宰が一緒に入水した相手がモデルだとも言われるようだ。そこから、あの心中は劇場型の自殺未遂になる予定だったが誤って本当に死んでしまったのだ、という説につながってくるらしい。

太宰治の文章は、読む者に対決を迫るのではなく隣にぴったり寄り添ってくる。そうして「頭」よりは「胸」の敏感なところに触れてくる。だから誰しも引き込まれるのだろう。でもときどきふと、この語り手がそもそも信用ならないのだとしたらどうする、という気もしてくる。

ところがそれとはまた別に。同書にある「苦悩の年鑑」や「十五年」は、終戦直後に発表された文章で、戦時中の自らの考えを非常に素直に告白していると思える。あの戦争の最中の出来事について戦争の後になってからあれこれ批判するという態度に、私はいつもどこか100%は乗り切れないところがあるけれど、この太宰の言葉は「信用できる」と感じさせられる。

私は戦争中に、東条に呆れ、ヒトラアを軽蔑し、それを皆に言いふらしていた。けれどもまた私はこの戦争に於いて、大いに日本に味方しようと思った。私など味方になっても、まるでちっとも何もお役に立たなかったと思うが、しかし、日本に味方するつもりでいた。この点を明確にしておきたい。この戦争には、もちろんはじめから何の希望も持てなかったが、しかし、日本は、やっちゃったのだ》(「十五年間」p.61)
「親が破産しかかって、せっぱつまり、見えすいたつらい嘘をついている時、子どもがそれをすっぱ抜けるか。運命窮まると観じて、黙って共に討死にさ」》(同 p.62)

私は戦時中、もしこんなていたらくで日本が勝ったら、日本は神の国ではなくて、魔の国だと思っていた。けれども私は、日本必勝を口にし、日本に味方するつもりでいた。負けるにきまっているものを、陰でこそこそ、負けるぞ負けるぞ、と自分ひとり知ってるような顔で囁いて歩いている人の顔も、あんまり高潔でない》(同 p.65)

また、巻頭にある「薄明」という短編は、疎開した先の家が空襲であっけなく焼かれてしまい妻子をかかえてただおろおろするという男の姿が描かれている。上記と合わせて読むといっそう興味深い。なお、加藤典洋の『敗戦後論』は、太宰治を同書の核心にかかわる重要な作家として位置づけている。そこで取り上げて評価しているのが「薄明」だ。『敗戦後論』はかつて賛否の議論を巻き起こしたが、今から思えば私には同じような意味で信用できると感じた一冊だった。

結局のところ、「言葉が正しいからといって、それを述べた者の本性が正しいとは限らない」とも言い切れないのではないかと思う。つまり「本当に正しい言葉を示せる者こそが、本当に正しい者であるのかもしれないじゃないか」ということ。ちょうど村上春樹エルサレム賞とその授賞スピーチが話題だったこともあり、そんなことを考えた。

ところで、太宰治は早死にしたせいで、その作品はだいぶ前から青空文庫で読める。坂口安吾もとうとう死後50年が過ぎた。戦後は遠くなりにけり。それにひきかえ小林秀雄はいちばん年長のくせに1983年までしぶとく生きたから、土曜ドラマの登場人物にはなったそうだが、その言論がおおっぴらに出回るのはまだだいぶ先になる。


◎グッド・バイ/太宰治新潮文庫asin:4101006083
敗戦後論加藤典洋 asin:4062086999(単行本) asin:4480421564ちくま文庫