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【2019 輪廻転生】

★私の恋人/上田岳弘(三島賞)


『新潮』4月号がたまたま家にあり、巻頭が上田岳弘「私の恋人」(三島賞)だった! 

アフリカを出た現生人類はやがてオーストラリアへと行き着くが、われらが2回めの旅のどん詰まりはというと、東の果てにおける原爆投下だった、という仮の見取り図がまず示される。

語り手として仮の設定でしかないような「私」は、1回めは未来を見通せるクロマニヨン人であり、2回めはドイツの収容所で殺されるユダヤ人であり、そして2014年に3回目の生を送っている。

想像力が爆発的にしかもスケールアップしつつ進展していく小説だと思われ、期待は膨らむ。


しかしながら、ふと思う。現世人類の10万年余りの歴史というのが、そもそも爆発に次ぐ爆発だったではないかと。その事実をたんたんと追うだけで、その複雑さのレベルは、宇宙の星の進化や、地球の生物の進化を、圧倒的に上回るだろう。

つまり、10万年前の人が、10万年後の現在を、本当は想像できるはずもない。言い換えれば、人類の複雑な進化のスピードが今後も低下しないとしたら、現在の私たちの全員が総力で想像力を極限まで広げたとしても、10万年先の未来はまったく予測などできるはずがない、だろう。

もっと端的に言うと「人類は凄いね!」ということにつきる(ついいつも、端的に言ってしまって、いつもこの結論になるのは、どうかと思うが)。そして「とりあえず、人類は凄いね!」という前提的な共感を、少なくとも抱かせるような映画や小説にこそ、興味がある。


〈応答として〉
たしかに、生物進化のスケールとして10万年はあまりに短く、何も変わっていないというのは正しいと思いますが、火を使い、言葉を使い、貨幣を作り、原爆を落とし、グーグルに翻訳させるようになった道程の複雑さに、私たちはとりあえず唖然とせざるを得ないのではないでしょうか?

70〜80年の人生とは、1個の生としては永遠とも言え、そこには世界のすべてがつまっていると言ってもいいように、人類10余万年こそが人類の想像力すべての源泉と言ってもいいのではないかと、今日、同小説を読み始めて、ふと思ったのです。


もう本が出ている。
私の恋人


そういえば、青木淳悟の小説に、ネアンデルタール人と現生人類の遭遇みたいなことと、何万年かあとにそれらの遺跡を発掘しているような現場が出てくる作品がありました。「クレーターのほとりで」。当時の感想(以下)

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20041211/p1


 *


(以下、雑誌初出からの引用)


《洗練された人工知能によって、人類が思考の質、量ともに追い抜かれる日が来るのも時間の問題となるだろう。そしていつしかこの惑星上で最も優れた知性を持つ存在は、人類から彼らへと移行し、進化のイニシアティブを取るのも彼らである方が効率的ということになる。全方向において彼らに優位に立たれた時、人類の旅の三周目が終了する。》(*「彼ら」は太字で書かれている。シンギュラリティを指していると思われる)


《一周目で人類は惑星全体を覆い、二周目でこの世界を最高の効率で回す運用ルールを決めた。僕たちはそのルールが出来た過程をトレースしなければならない。》


《おそらく、三周目では国境も消え失せて、世界と直接に繋がる人々の内的世界の取り合いが起こる》


Windows95の発売で「行き止まりの人類の旅」の三周目が本格的に始まり、彼らの出現で我々は三度目のフィナーレを迎えることになる。》


《彼女は、あの方向性はどうか? と考えているのだ。つまり、三周目の旅の先頭を走るためにどのルートを選ぶべきなのかを真剣に考えすぎるあまり、その集団の活動が何かの参考になるのかもしれない、と考えている。既存の宗教の教義を中心に据えたその集団は、現在のあなた方人類の本流に対して違和感を覚える人間たちを吸い寄せている。》


《だが私に言わせれば、テロに走るのは我慢比べに負けた結果でしかない。》