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【2019 輪廻転生】

数学とSASUKEの類似


いろいろあって『無限論の教室』(野矢茂樹)を久しぶりに読んだ。無限とは数が非常に多いということではないのだが、野矢さんはさらに、無限とはまったく得体のしれないものであり、存在しているとすら言いがたく、それゆえ「実数の集合」なんてのもナンセンスでしかないという。独自の(?)思想が底にあるようだ。(asin:4061494201)

自然数のときのような、すべての実数を体系的に作っていく規則などというのはないのです。それゆえ、可能無限の立場からすれば、実数という無限集合など、存在しないというわけです》(p.97)

自然数はどこまで数えてもキリがないだけだが、実数は、数え方もしくは並べ方すら見極められない、ということになろうか。そういうふうにおもうと、たしかに得体がしれない。

さてこの「得体がしれない」だが、「実数の全体像を一望することが絶対できない」と感じるから得体がしれないのか、それとも、「実数の全体像を一望することは絶対できないみたいだが、それにもかかわらず、実数を概念的・言語的・数学的には表現できそう」だからこそ、得体がしれないのか?

実数は存在しない、という直観は、私なりに言い換えれば、たとえば「4次元空間というものを絵には描けない」という直観とか、「無限を絵には描けない」という直観と、同じようなものだ。

「否定も絵には描けない」という話もある。ということからすると、絵には描けないものを我々は言葉や数学によってなら扱えるということだろう。ではそのとき、われわれは、絵には描けない4次元空間や無限や実数を「正しく考えること」ができていると、言うべきなのだろうか?

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関連で、ゲーデル不完全性定理に関するガイド本もいくつか読んでいる。不完全性定理とは何かということについては、シリア情勢と同じくらい基本の基本がわかっていないおそれが大きい、ということを、私の場合は意識せざるをえない。

そんななかで、『数学ガールゲーデル不完全性定理』(結城浩)は、おそらく数少ない「信頼すべき情報筋」だと思われる。

そもそも情勢がわかっていないのに、なぜそれが信頼すべき情報筋だとわかるのか、という原理的な疑問もある。しかしまあ、私たちは、けっこうバカだが、とことんバカでもないので、なんとかなることもあるのだ。それは結局は脳の計算機的な手法なのか、そうではないのかが、興味深いところ。

(以前『数学ガール』を読んだときの感想。http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/2010006/p1

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このあと『無限論の教室』を熟読。同じ流れで、野崎昭弘『不完全性定理』(ちくま学芸文庫)もまた手にした。どちらも今回は非常に理解が深まった。(以下 9.28追記)

あまりにも思いがけないことだが、不完全性定理の頂上に初めて登った気がする! 『無限論の教室』(野矢茂樹)。山道を一歩一歩登ったのではなく、なんか便利なロープウェイを使ったにすぎないことは明らかだが。

それにしても『無限論の教室』は初めて読んだわけではないのに、なんということだ! これまでずっと、せいぜい不完全性定理の子供用おもちゃなんだろうと思い込んでいたが、そうではなかった。ちゃんと本物の頂上に登れた気がするのだ。なんということだろう。

ついでにもう1つ発見したことを言うと、数学のなにかがわかりたいというのと、そして、それがわかったというのは、たとえばSASUKEをクリアしたい、そしてそれをクリアした、みたいな熱望と快感に等しいのではないか

数学のレベルとしてはあまりにも初歩の熱望と快感だろうが、こういうところには人生の純粋な実質があるとすら言いたくなる。

それにしても、こんなことは時事や流行とは無縁だし、時間を費やしても社会的には無価値と言い切れるのだが、それはむしろ、それが純粋な楽しみであることを保証しているのだから、すごいことではないか。


野崎昭弘『不完全性定理』については、またいずれ。


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ところで『無限論の教室』は、たしか数学の研究者からは酷評されてもいた。なにか間違った記述があるのか、思想の違いなのか、そこはよくわからない。しかし私は、野矢さんの本からいつも感じられる独特の「もののとらえかた」には共感するところが大きい。それは数学における「直観主義」と近いのかも…

酷評といったのは、こちらの掲示板にあるもののこと。http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/b0011.html

インターネットの掲示板は、10年もたつとすっかり消えてなくなっている割合が高いが、このように残しておくのは、素晴らしい。(が、残すのが得意な人たちの言説だけがますます強固になっていくかもしれないので、ネットの言論弱者も、もっとかたくなに意見を消さないようにしましょう)

そしてまた昔話。この本が出たころだろうか、野矢茂樹保坂和志の対談が文芸誌に載ったので、ワクワクして読み始めたらハラハラして読む羽目になった、という思い出がある。

二人の考えが、とても似ているようで微妙に似ていないか、あるいは、実は最初からまるきり似ていないか、そのどちらかであるのが理由だったように感じられた。

保坂氏はいつもズバズバものをいうし、わりと意地悪にものをいうところもあるし、野矢さんも、だいぶ年数がたってから『爆笑学問』を見たら、保坂氏なみに、ズバズバ意地悪なことをいっていた。(しかし、この2人が2人とも私には特別に好ましい人物であることは今もずっと変わらない)

その対談を読んだ記録。http://www.mayq.net/hosaka3.html

(むやみに何でも残しておけば、私の脳は忘れても、グーグルは忘れない)


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このエントリーは、以下のエントリーになんとなく続く。
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20131024/p1