『風立ちぬ』(宮崎駿)やっと見てきた。飛行機の機械仕掛けと飛んでいく姿。いちばん印象に残ったのはそれか。それと、ふいに起こった風が草原を吹きわたるようす。地震、汽車。毎度のことながら青い空と白い雲。
しかし、アニメ−ションの絢爛豪華さという点では、たとえば『千と千尋の神隠し』などが上ではないか。
ついでに、『もののけ姫』を、じつはまだ見ていなかったという国民にあるまじき対応を反省しつつ、DVDで借りてきた。最初から最後までスペクタクル。目を奪い心に突き刺さる。問答無用で凄かった、面白かった。
ともあれ、宮崎駿監督のおかげで、過去のいかなる美術形式によっても得られなかった強烈にして至高の視覚体験が、現代日本においてあまりにも身近なものとなり、私たちは繰り返し繰り返しそれを味わえる。
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堀越と菜穂子の恋愛は、飛行機設計に関係ないといえば関係ないが、関係あるといえば関係ある。いや、勉強にせよ労動にせよ芸術にせよ革命にせよ、恋愛に影響されないと考えるほうが無理がある。だからこれはこれでOKなのではないか。
というわけで…。今いろいろあって『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』(結城浩)をまた読んでおり、この本は、ちょっと内気にして多感にしてどこか鈍感な高校二年生の男子が語り手で、しかもユーリ、テトラ、ミルカという3人の少女が出てくるので、数学のガイド本なのにどうして とも思うわけだが、飛行機設計の話に恋愛が絡んでもいいように、数学の講義に少女が絡んでもまったくかまわないのだと、逆に気がついた。
堀越と菜穂子は軽井沢のホテルで再会するが、数学ガールたちと僕もまたホテルのような図書館でメタ数学を学ぶ。ここも景色がとてもよい。
《僕たちは、ミルカさんに続いて三階に上がり、"Oxygen"と書かれた部屋に入った。軽食も食べられるカフェのようだ。天気がいいので、外のオープンテラス席に移動。片方には海が見え、反対側には森が見える。よく晴れているけれど、日差しはやわらかい》
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ところで、『もののけ姫』はイケメンと美少女が主役。『千と千尋…』はハクがイケメン。『風立ちぬ』は堀越はイケメンとは言いがたいが、菜穂子は美少女。
漫画やアニメでいつも思うのだが、その他の人物はかなりリアルな日本人顔で描くことに成功していることがあるのに、主役の男女だけは決まっていつも類型的な美しいアニメ顔というのは、漫画やアニメの限界であってどうにもならぬのか? これは『MONSTER』(浦沢直樹)を読んだときにも感じた。
◎http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080403/p1
それでまた思い出した。『無限論の教室』(野矢茂樹)も最近また読んだのだが、こっちは もっと冷めたというか ぬるいというか そんな大学生男子の「ぼく」が語り手で、全体的にトボけた独身男性教師タジマから講義を受けている。どちらもイケメンとは言いがたい。もう1人同じ講義に出席しているのがタカムラさんという女子で、ぼくは彼女のことがやっぱりちょっと気になるけれど、タカムラさんはこんな人だ。
《「概念というのは、別に簡単な名詞でなくても、長々とした表現でしか言い表わせないものでも、いいんですね?」タカムラさんが尋ねた。
「いいんです、ある集まりを形成する特徴を的確に捉えていれば」
そこでぼくも質問した、「『美人』なんていうのは、概念なんですか?」あ、それとなくタカムラさんの方を見た。よかった、気にしていないみたいだ。タカムラさんは、どっちかっていうと……美人……と言えなくもない、と言う人もいないではないかな。タカムラさんがこっちを見て、ぼくと目があった。びっくりした。
「違うんじゃないかしら。曖昧でしょ、それ」
「美人集まれなんていうと、カン違いした不細工な女性たちがゾロゾロ集まるでしょうからね、ははは」
なんてデリカシーのない教師だ》
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風立ちぬ、いざ生きめやも。「生きめやも」って何だ? フランス語と同じくらいわからない。「め」は「む」の已然形だとか。「今こそ別れめ」の「め」と同じか。分かれ目ではありません。