映画『メッセージ』は未見だが、原作「あなたの人生の物語」を昨日読んだ。ある地球外知性とのコンタクトが描かれ、それを通して浮かび上がってくるのは、なんと言語表記のはてしない可能性、かつまた物理表記のはてしない多様性だった!(私がときどき夢想してきたのもこんなのだったのです)
しかも、ある母娘の半生が挿入されることで、語り手のその母と、読者の私は、もう1つあまりにも重大で奇妙な可能性を思う。それは、私たちが自分の人生を実行しかつ総覧しているこの方式が、決定的に変容するような可能性だ。この短い小説の進行のなかで、それを理解する、というより体験する。
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<追記 6.21>
冒頭の「バビロンの塔」は、まるでボルヘスだった。それとともに、はるか昔メソポタミア文明を生きた人々の世界観というものを、マジに想像する良い機会になる。素朴な信仰心、勤勉な労働、静謐な暮らし。
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<追記 6.24>
「ゼロで割る」は、無条件に信じていたはずの数学に矛盾があることを自ら証明してしまった女性学者の、特異な苦しみが描かれる。ゲーデルの不完全性定理なども挿入され、こうした題材もSFになるのかと、新鮮な驚きをおぼえる。
そして一方、彼女の夫のほうは、無条件に信じていた自分たち夫婦の関係にじつは原理的な不整合があったという事実を発見してしまう。彼女と彼のどちらの苦悩がこの小説の主眼なのか、わからないところがまた面白い。
しかもタイトルは「ゼロで割る」なので、数学や夫婦における矛盾の存在を実証したいというよりも、数学や夫婦に矛盾があるのかないのかなんて問うこと自体がナンセンスなのだと言いたいのか、とも思わせる。
ただし、テッド・チャンはズバリ「eのπi乗 = −1」という等式に触発されたことを「作品覚え書き」で明かしているので、そうだったのかと思う。
《あたかも絶対の真理に触れたかのような畏怖を覚える瞬間だ》と。しかしまた、「作品覚え書き」を彼は次のように結んでいる。
《数学が内部矛盾を含むものであり、そのすばらしい美しさはたんなる幻影にすぎないという証拠は、人間が学びうる最悪の事柄のひとつのようにぼくには思える》
もう1つ「地獄とは神の不在なり」も読んだが、これもまた甲乙つけがたく刺激的だった。
設定される世界は、私たちの現実ととても似ているが、1つ違うのは、天使が本当に姿を現し奇跡が本当に起こる世界であることだ。
ところが面白いことに、神は何も語らず行いもきわめて気まぐれなので、結局のところ、人々の神への信仰は、天使や奇跡が実在しない私たちのこの世界と同じく、どうしても曖昧になり猜疑を呼び込まざるをえない。そして、神を想定して自らの人生を実践するにも解釈するにも、思い込みや見切り発車にならざるをえない。
ところで、この短編こそ映画化するにふさわしいのではないか。主要な3人の人物は、天使の降臨に遭遇したくてそれぞれ地の果てのようなところへ冒険に向かう。実際に天使が降臨するときのスペクタクルもまたすごい。
なお付け加えておくべきは、この小説は、神に本当に触れるとはどういう体験なのかを、けっこう明瞭に想像させる、ということ。また、神がいないことが本当にはっきりした世界が、どのように地獄であるのかということも、とりあえず端的に説明している。