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【2019 輪廻転生】

★言葉はなぜ生まれたのか/岡ノ谷一夫

 言葉はなぜ生まれたのか


言語の生物的な基盤そして起源を探究してきた著者の考えのエッセンスを平易にまとめた印象。絵がふんだん(というか絵本)。以下ごくわずかだがメモ。


《人間は「ことば」をもつより前に、「歌詞のない歌」をうたっていたのではないだろうか?》

《ある者が、「今日はみんなでマンモスを狩りにいこう」という意味の歌をうたいました。
 別の者は、「あっちの草原でシマウマを狩ろう」という歌をうたいました。
 お互いに別の歌をうたっているうちに、ふたつの歌の中の重なり合う部分が切り出され、このかたまりに「狩りをしよう」という意味がついたのではないか?》

《歌の中から切り出された共通部分は、最初は長かったのではないか? 
 そして、歌から切り出された共通部分は、さらにこまかく切り出されたのではないか?そうしたプロセスを経るうちに、最終的に「単語」ができたのではないだろうか》

たとえば「今日はみんなでマンモスを狩ろう」→「みんなでマンモスを狩ろう」→「マンモス狩ろう」→「マンモス」

言語の意味の単位は、単語→句→文という方向で複雑化した、と考えるのではなく、むしろ逆だったという発想。著者の発想のじつに画期的な点の一つ。上記の引用は最も簡潔な説明になっていると思った。


もう1点、今回新たに気づかされたこと(以下)

発声の学習というのは、息を自主的に止める能力がなければできないのだという。サルもウマもシカも犬も猫も止めることはできない。

それならば《人間は鳥のように空を飛んだりクジラのように水中で生活しているわけではないのに、なぜ息を止められるようになったのだろう?》

《人間は社会集団をつくるようになり、外的に襲われる危険性が少なくなったため、赤ん坊が大きな声で泣いても大丈夫になった。
 赤ん坊は、親をコントロールするために、大きな声、いろいろな泣き声を出すようになった。
 より大きく複雑な泣き声を出すためには、呼吸をコントロールする機能が有利になった。
 呼吸をコントロールする機能をもったため、人間は「発声学習」が可能になった。
 そのため、「ことば」の習得が可能になった。》 

著者はそう考える。


◎参照:http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070616/p1