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【2019 輪廻転生】

★サピエンス全史/ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳)メモ


 サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福


2016年のベスト本になりそう。以下メモ(途中まで)


<第1章>

ホモ・エレクトスは200年以上生きた。人類では他にない

脳の進化。現在では十分もとがとれるが、最初の200万年は、いったい何が人類の巨大な脳の進化を推進したのか。《正直なところ、その答えはわからない》 *あまり考えなかった問い

人類は、脳、道具、学習能力、複雑な社会構造のおかげで地上最強の動物になったことは自明だろう。《だが、人類はまる二〇〇万年にわたってこれらすべての恩恵に浴しながらも、その間ずっと弱く、取るに足らない生き物でしかなかった》 *これまたこれまで思い浮かべなかった

人類はあっという間に頂点に上り詰めたので、生態系は順応する暇がなかった。それが他の動物たちとの違い。ライオンやガゼルやハイエナなどは何百万年もかけて進化した。しかもともに統制と均衡の仕組みを作り上げることができた。

それにしても、人類が手にしたものの力の大きさ。たとえば火。従順で潜在的に無限の力が制御できるようになった。しかも、火の力は、人体の形状や構造、強さによって制限されていない。たとえばワシがどれだけ飛べるかは自らの体重に制限されるのに比べて。*これも当たり前だが、言われてみて深くうなずかされる。

ネアンデルタール人とサピエンスは同種ではないが、あと一歩で完全に異なる種、という境界にあったらしい。交わることができたから(遺伝子からみて)

そして問う:もしネアンデルタール人かデニソワ人がともに生き延びていたら? 文化や社会、政治形態は? 信仰は? 聖書は? 帝国や官僚組織は? 独立宣言の内容は? 資本論は? *こうしたスパンの大きな問いこそがこの著者の真骨頂だと思う。

では、なぜ、ネアンデルタール人は生き延びられず、サピエンスが世界を制服したのか。激しい議論は今なお尽きないが、最も有力な答えは、その議論を可能にしているものにほかならない。《すなわち、何よりも、その比類なき言語のおかげではなかろうか》


<第2章 虚構が協力を可能にした>

サピエンスは、7万年前から、見かけは太古と同じだが、非常に特殊なことを始めた。アフリカ大陸を再び離れた。そして今度はネアンデルタール人も他の人類もすべてを地球上から一掃した。驚くほど短い期間でヨーロッパと東アジアに達した。4万5千年前には、大海原をわたってオーストラリアに到達した。7〜3万年前に、舟、ランプ、弓矢、針を発明した。芸術とよべる品々もこの時期に始まる。宗教、交易、社会的階層化の最初の明白な証拠もある。

ほとんどの研究者は、これら前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力に起こった革命の産物だと考えている。

サピエンスの言語のどこがそれほど特別だったのか?(他の動物たちのコミュニケーションとの違い)。柔軟性(周囲の世界について莫大な量の情報を収集し、保存し、伝えられる)、うわさ話説、など

(そのうえで著者はこう言う)私たちの言語の比類ない特徴は《まったく存在しないものについての情報を伝達する能力だ》。ありとあらゆる存在について話す能力。

「気をつけろ、ライオンだ」と言える動物や人類種は多くいた。しかし「ライオンは我が部族の守護霊だ」と言う能力をサピエンスは獲得した。《虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている》

何万もの住民からなる都市や、何億もの民を支配する帝国をどうやって築いたのか? 《その秘密はおそらく虚構の登場にある。膨大な数の見知らぬ人どうしも、共通の神話を信じることによって、首尾よく協力できるのだ。》

しかし、人類の想像の中以外には、国民も、お金も、人権も、法律も、正義も存在しない。

原始的な人々は死者の霊や精霊の存在を信じていたが、現在の制度もそれとまったく同じ基盤に依って機能している。それを私たちは十分理解していない。

たとえばプジョーという法人。《プジョーは私たちの集合的想像の生み出した虚構だ》。創業者はいかにしてプジョーを生み出したのか。聖職者や魔術師が歴史を通して紙や悪霊を生み出してきたのとほぼ同じやり方。すべては物語を語ることと、人々を説得してその物語を信じさせること。

《歴史の大半は、どうやって厖大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた》

<ゲノムを迂回する>

適切な条件下では、神話はあっという間に現実を変えることができる。たとえば1789年。

他の社会的な動物の行動は、遺伝子によっておおむね決まっている。DNAは専制君主ではない。(*生物進化として眺めたときの人間社会の異様さ)

他の動物と同じく、太古の人類は革命はいっさい起さなかった。たとえばホモ・エレクトスは、ある遺伝子の変異によって石器技術を開発した。しかし、その石器技術は、200万年近くにわたって、ほぼそのままだった。

《それとは対照的に、サピエンスは認知革命以来、自らの振る舞いを素早く変えられるようになり、遺伝子や環境の変化をまったく必要とせずに、新しい行動を後世の世代へと伝えていった》

DNAがまったく変わらずして、5つの社会政治的体制を経験したと考えられる、1900年生まれのドイツ女性。

交易もまた、虚構の基盤を必要とする。ネアンデルタールが交易をした証拠はまったくない。
交易は信頼なくして成立しないが、赤の他人を信頼するのは非常に難しい。

認知革命は、歴史が生物学から独立を宣言した時点。

次章は、認知革命と農業革命を隔てる数万年の間にどんな生活が営まれていたか。


<第3章>

サピエンスは、種のほぼ全史を通じて狩猟採集民だった。隆盛をきわめる進化心理学の分野では、私たちの現在の社会的特徴や心理的特徴の多くは、農耕以前のこの長い時代に形成されたと言われている。*基本認識

人工物の介在。《私たちが自ら考案した物が介在していない活動や信念、はては感情さえほとんどない》

古代狩猟採集民は、民族的文化的多様性は壮観。何千もの部族に別れ、何千もの言語と文化をもっていた。これも認知革命の主要な遺産の1つ。同じ遺伝子、類似した生態的条件下であっても、虚構のおかげで、非常に異なる想像上の現実を産み出すことができ、それが異なる規範や価値観として現れた。

平均的な狩猟採集民は、現代に生きる子孫の大半よりも、直近の環境について、幅広く、深く、多様な知識を持っていた。

サピエンスの脳は、狩猟採集時代以降、縮小したという証拠すらある。

狩猟採集経済は、農業や工業と比べると、より興味深い暮らしを大半の人に提供した。
《今日、中国の工員は朝の七時ごろに家を出て、空気が汚れた道を通り、賃金が安く条件の悪い工場に行き、来る日も来る日も、同じ機械を同じ手順で動かす、退屈極まりない仕事を延々一〇時間もこなし、依るの七時ごろに北区し、食器を洗い、洗濯をする》

たいていの場所でたいていのとき、狩猟採集で他に入る食物からは理想的な栄養が得られた。何十万年にもわかってそれが人類の常食だった。人類の身体はそれに十分適応していた。

健康に良く多様な食物。比較的短い労働時間。感染症の少なさ。多くの専門家は、農耕以前の狩猟採集生活を「原初の豊かな暮らし」と定義した。

<口を利く死者の霊>

古代の狩猟採集民の霊的生活や精神生活については、何が言えるだろう。物とちがって証拠が残らないので難しい。しかし多くの学者は、古代の狩猟採集民の間では一般にアニミズムが信じられていたと考えている。

古代の狩猟採集民がアニミズムの信奉者だったというのは、近代以前の農耕民が主に有神論者だったというのに等しい。

<平和か戦争か?>

狩猟採集民は多様だったはず。暴力の度合いもさまざまだっただろう。平和の場所や時期も、戦争の場所や時期もあった。(*一様でなく多様であった。また推測はなかなか難しい)

<沈黙の帳>

沈黙の帳が何万年もの歴史を覆い隠している。しかし実際には、彼らは重要なことを数多く行った。とくに、彼らは私たちの周りの世界を一変させた。それがどれほど大きな変化だったのかに、ほとんどの人が気づいていない。惑星の生態系を完全に作り変えた。サピエンスの流浪の集団は、動物界が生み出したうちで最も重要かつ破壊的な力だった。


<第4章 史上最も危険な種>

最初の偉業。4万5千年前。オーストラリア大陸への移住。どうやって成し遂げたのか、専門家は説明に窮している。

大洋を航海できる船の作り方や操り方を編み出し、彼方まででかけて漁や交易、探検を行うようになった、というのが妥当な説明だろう。その後、北方の多数の孤島に移住している事実もある。

そして3万5千年前には日本へ。

《人類によるオーストラリア大陸への初の旅は、歴史上屈指の重要な出来事で、少なくともコロンブスによるアメリカへの航海や、アポロ一一号による月面着陸に匹敵する》

そして、オーストラリアに移住したサピエンスは、その新しい環境に適応しただけではない。
この大陸の生態系を、元の面影がないほど変えてしまった。*この章の主旨。

数千年のうちに、オーストラリアの巨大な生き物はすべて姿を消した。24種のうち23種が絶滅した。ちなみにニュージーランドにサピエンスが来たのは800年前。マオリ族。その200年後、大型動物相の大半は、同じく絶滅した。

マンモスの絶滅も同様。(しかしなぜ北極へ? トナカイやマンモスといった大型で肉付きのよう動物で満ち溢れていた)

そして。《アメリカ大陸を席巻した人類の電撃戦は、ホモ・サピエンスの比類ない創意工夫と卓越した適応性の証だ。どこであっても事実上同じ遺伝子を使いながら、これほど短い期間に、これほど多種多様な根本的に異なる生息環境に進出した動物はかつてなかった》 *言われてみればこれもなるほどだ。

そして、サピエンス到着から2000年以内に、北アメリカでは大型哺乳類47属の34属を、南アメリカでは60属の50属が失われたという。

サピエンスは、車輪や書記や鉄器を発明するはるか以前に、地球の大型動物のおよそ半数を絶滅に追い込んだのだ。

ほんのわずかに人類に気づかれずに住んだ孤島が、ガラパゴス諸島

狩猟採集民による絶滅の第一の波。続いて、農耕民による絶滅の第二の波。今日の産業活動が引き起こしているのは、第三の波にすぎない。はるか以前から、私たちは生物史上最も危険な種だった。


<第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇>

*まず狩猟採集生活のエレガントさが改めて強調される

《人類は250万年にわかって、植物を採集し動物を狩って食料としてきた。そして、これらの動植物は、人間の介在なしに暮らし、繁殖していた》
《他のことなどする理由があるだろうか? なにしろ、従来の生活様式でたっぷり原が満たされ、社会構造と宗教的信仰と政治的ダイナミクスを持つ豊かな世界が刺させられているのだから》
《だが、1万年ほど前にすべてが一変した。それは、いくつかの動植物種の生命を、サピエンスがほぼすべての時間と労力を傾け始めたときだった》

(この変化の永続性)紀元前三千五百年までには、家畜化栽培化のピークは過ぎていた。現在摂取するカロリーの9割以上は、ほんの一握りの植物(小麦、稲、トウモロコシ、じゃがいも、キビ、大麦に由来する)

《私たちの心が狩猟採集民のものであるなら、料理は古代の農耕民のものと言える》

農業革命が中東と中国と中央アメリカだけで勃発した理由。ほとんどの動植物種は家畜化や栽培化ができないからだ。特定の地域だけが農業革命の舞台となった。

かつて学者たちは、農業革命は人類にとって大躍進だったと宣言していた。しかし、この物語は夢想にすぎない。*ここはかなり衝撃的。

人々が時間とともに知能を高めたという証拠は皆無だ。

農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。狩猟採集民は、もっと刺激的で多様な時間を送り、飢えや病気に危険が小さかった。

《二〇〇〇年ほどのうちに、人類は多くの地域で、朝から晩までほとんど小麦の世話ばかりを焼いて過ごすようになっていた》。それはとても苦労することだった。小麦の栽培はとても面倒。しかも、サピエンスの体はそのような作業のために進化してはいなかった。《石を取り除いたり水桶を運んだりするのではなく、リンゴの木に登ったり、ガゼルを追いかけたりするように適応していたのだ》

そして、彼らの生活様式が完全にかわった。
《私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ》

しかも穀物はミネラルとビタミンに乏しい。小麦は経済的安心を与えてもくれなかった。
狩猟採集民は何十もの種に頼って生きていて、保存食品がなくても、困難な年を
乗り越えることができた。農耕民は干ばつなどで不作になると何千から何百万という単位で命を落とした。

小麦は農耕民に何を提供したのか? 個々の人々には何も提供しなかった。だが種全体には授けたものがあった。単位面積あたりの土地からははるかに多くの食物が得られ、そのおかげでホモ・サピエンスは指数関数的に数を増やせたのだ。

すなわち、進化という観点からすれば、たしかにサピエンスのDNAは成功した。

《とはいえ、この進化上の算盤勘定など、個々の人間の知ったことではないではないか。正気の人間がなぜわざわざ自分の生活水準を落としてまで、ホモ・サピエンスの複製の数を増やそうとするのか? じつは、誰もそんな取引に合意したわけではなかった農業革命は罠だったのだ》

さらに農業は改良されていったが…《皮肉にも一連の「改良」は、どれも生活を楽にするためだったはずなのに、これらの農耕民の負担を増やすばかりだった》

この苦難は今日も起こる。若い大学卒業生が、がむしゃらに働いてお金を稼ぐ。しかし、その結果、多額のローンを抱え、子どもたちを学校にやらねばならず自動車も必要になりバカンスが不可欠に感じられる。そのため、彼らはいっそう、あくせく働く。

ここまで、農業革命を「計算違い」とみなして説明してきたが、「計算違い」以外の説明ができる可能性もある。《文字を持たない人々が、経済的な必要性ではなく信仰心に義務付けられていたことを証明するのは難しい》(*だが信仰心という説明は可能だろうというのが著者の立場)

そのごくまれな手がかり。1995年に発掘が始まったトルコのギョベクリ・テベ。見事な彫刻を施した石柱から成る記念碑的建造物がいくつも出てきた。1つひとつの石柱は最大で7トン、高さ5メートル。

これを建造するには、異なる生活集団や不足に所属する何千もの狩猟採集民が長期にわたって協力する以外になかった。《そのような事業を維持できるのは、複雑な宗教的あるいはイデオロギー的体制しかない》

そして、これを農業革命と結びつけた解釈を試みる。

ギョベクリ・テベから約30キロ離れたところに、栽培化された小麦の1つが由来している。《これはただの偶然のはずがない》

《野生の小麦の採集から集約的な小麦栽培へと狩猟採集民が切り替えたのは、通常の食糧供給を増やすためではなく、むしろ、神殿の建設と運営を支えるためだったことは、十分考えられる》

ところで、家畜化された動物にとっては、農業革命は恐ろしい大惨事だった。彼らの進化上の成功(大いに増えたこと)は無意味だ。《進化上の成功と個々の苦しみとのこの乖離は、私たちが農業革命から引き出しうる教訓のうちでも最も重要かもしれない》

そしてこれはサピエンスにとっても同じこと。今後の章でそれを繰り返し目にすることになるだろう。


<第6章 神話による社会の拡大>

農耕民は、周囲の未開地から苦労して切り分けた人工的な人間の「島」に住んでいた。家の周りにはとりわけ強力な防御体制が築かれた。*現代のマンション住まいをも思わせる。

《農耕民の空間が縮小する一方で、彼らの時間は拡大した。狩猟採集民はたいてい、翌週のことや翌月のことを考えるのに時間をかけたりしなかった。だが農耕民は、想像の中で何年も何十年も先まで、楽々と思いを馳せた》

《ところが農業革命のせいで、未来はそれ以前とは比べようもないほど重要になった。農耕民は未来を念頭に置き、未来のために働く必要があった》

そして、《農耕が始まったまさにそのときから、未来に対する不安は、人間の心という舞台の条例となった》

(*しかも実に皮肉なことに)《農耕民が未来を心配するのは、心配の種が多かったからだけでなく、それに対して何かしら手が打てたからでもある》

*さて現代の私たちこそ未来の予定が立ちすぎて未来ばかりを生きている。貯蓄などの行動は最も卑近な例だろう。しかもコンピュータとインターネットは未来をどこまでも詳細にする。とりわけ、今しも正月の旅行準備中の私などは、フライトもホテルも観光も、あらかじめ予定を立てる余地がありすぎて、もはや未来の旅行をすでに済ませて帰ってきた気分だ。何が未来で、何か過去で、何が現在か。本当にもうわからない。

<想像上の秩序>

歴史上の戦争や革命の大半を引き起こしたのは食糧不足ではない。フランス革命も、古代ローマの崩壊も、1991年のユーゴスラビアも。

《こうした惨事の根本には、人類が数十人から成る小さな生活集団で何百万年も進化してきたという事実がある。農業革命と、都市や王国や帝国の登場を隔てている数千年間では、大規模な協力のための本能が進化するには、短過ぎたのだ》

《そのような生物学的本能が欠けているにもかかわらず、狩猟採集時代に何百もの見知らぬ人どうしが協力できたのは、彼らが共有していた神話のおかげだ。だが、この種の協力は緩やかで限られたものだった》

しかし、実際には、この神話の威力は、限られたものではなかった。《神話は誰一人想像できなかったほど強力だったのだ》《人類の想像力のおかげで、地球上ではかつて見られなかった類の、大規模な協力の驚くべきネットワークが構築されていた》

神話はどうやって帝国全体を支えられるのか? そうした例として、プジョーの例をすでに挙げた。ここでは別の2つの例をあげよう。

1つは、紀元前1776年ごろのハムラビ王の法典。もう1つは、紀元1776年のアメリカ独立宣言。

どちらも、想像上の秩序にほかならない。《私たちが特定の秩序を信じるのは、それが客観的に(*科学的にという意味合い)正しいからではなく、それを信じれば効果的に協力して、より良い社会を作り出せるからだ。「想像上の秩序」は邪悪な陰謀や無用の幻想ではない。むしろ、多数の人間が効果的に協力するための、唯一の方法なのだ》

とはいえ、《私たちは、ハンムラビ法典は神話だと受け容れるのは簡単だが、人権も神話だという言葉は聞きたくない。もし人権は想像の中にしか存在しないことに人々が気づけば、私たちの社会が崩壊する危険はないのか?》

ヴォルテールは「神などいないが、私の召使には教えないでくれ。さもないと、彼に夜中に殺されかねないから」と言った。

その恐れはもっともだ。《自然の秩序は安定した秩序だ。重力が明日働かなる可能性はない。たとえ、人々が重力の存在を信じなくなっても、それとは対照的に、想像上の秩序はつねに崩壊の危険を孕んでいる。なぜならそれは神話に依存しており、神話は人々が信じなくなった途端に消えてなくなってしまうからだ。想像上の秩序を保護するには、懸命に努力し続けることが化kせない。そうした努力の一部は、暴力や強制という形を取る》 *ペシミスティックにしてリアリスティック

*しかし、この次こそが、深い指摘
《とはいえ、想像上の秩序は暴力だけでは維持できない。真の信奉者たちも不可欠なのだ》《たった一人の聖職者が兵士一〇〇人分の働きをすることはよくある。(*銃剣よりも)はるかに安く効果的に》

しかも、社会のピラミッドの頂点に立つ人々が、自分の想像上の秩序を信じていなければ、どうしてそれを守らせようなどと願うだろうか。

冷笑家(*想像上の秩序など信じない者)は帝国を建設しない。想像上の秩序は人口の相当部分が(とくにエリートや治安部隊)が心からそれを信じているときにだけしか維持できない。
*これを踏まえて、宗教の戦いや正義の戦いを思うと感慨深い。

キリスト教は司教や聖職者の大半がキリストの存在を信じられなかったら二〇〇〇年も続かなかっただろう。アメリカの民主主義も、近代の資本主義も同じ。

<脱出不能の監獄>

では、そうした想像上の秩序を人々に信じさせるにはどうしたらいいか。それが想像上のものだとはけっして認めてはならない。偉大な神々や自然の法則によって生み出された客観的実体であるとつねに主張すること。そして、人々を徹底的に教育すること。

実際、その原理はあらゆるものに取り込まれている。お伽話、戯曲、絵画、歌謡、礼儀作用、政治的プロパガンダ、建築、レシピ、ファッションに。

人文科学や社会科学は、想像上の秩序が人生というタペストリーにいったいどのように織り込まれているかを説明することに、精力の大半を注ぎ込んでいる。
そこには3つの主要な要因があって、自分の人生をまとめ上げている秩序が自分の想像の中にしかないことに人々が気づくのを妨げている。(*このあたりから、社会と人間を総体として分析しようとする同書の志向が、予想を超えて大きいことが、いよいよはっきりしてくる)

(a)想像上の秩序は物質的世界に埋め込まれている。

たとえば、個室という存在に、近代の個人主義が埋め込まれている など

(b)想像上の秩序は私たちの欲望を形作る。

《たとえば、今日の西洋人がいちばん大切にしている欲望は、何世紀も前からある、ロマン主義国民主義、資本主義、人間至上主義の神話によって形作られている》

ごく個人的な欲望と思っているものさえ、たいていは想像上の秩序によってプログラムされている。たとえば外国で休暇をすごしたいというありふれた欲望も、ロマン主義的消費主義の神話を心の底から信奉しているからこそだ。ロマン主義は、人間としての自分の潜在能力を最大限発揮するには、できるかぎり多くの異なる体験をしなくてはならない、と私たちに命じる。
「新しい経験によって目を開かれ、人生が変わった」というロマン主義の神話。

古代エジプトの裕福な男性は、妻をバビロンでのバカンスに連れていくことで夫婦関係の危機を解消しようなとは、夢にも思わなかっただろう。その代わりに彼は、妻が前々から欲しがっていた豪華な墓を建てたかもしれない》。だれしも、人生をピラミッドの建設に捧げる。
ただし、そのピラミッドの名前や形、大きさは文化によって異なる。しかし《そもそも私たちにピラミッドを欲しがらせる神話について問う人はほとんどいない》

(c)想像上の秩序は共同主観的である

たとえばプジョーは、プジョーのCEOの想像上の友達ではない。(子どもは想像上の友達を信じていることがあるが、その子が信じるのをやめれば想像上の友達は消える。しかしプジョーはそうではない)

プジョーを消滅させるには、フランスの法制度のような、さらに強力なものを想像する必要がある。フランスの法制度を消滅させるには、フランスという国家というような、さらに強力なものを想像する必要がある。その国家を消滅させるには、なおいっそう強力なものを想像しなければならない。

結論:想像上の秩序から逃れる方法はない。監獄の壁を打ち壊して外に出ても、そこには、より大きな監獄の壁が立ちはだかる。


<第7章>