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【2019 輪廻転生】

零円では偽札も罪にあらず?


★悪貨/島田雅彦
 悪貨 (100周年書き下ろし)


日本円に偽札が多量に紛れ込んで通用し始めたら、資本主義は本当に崩壊するのだろうか。その肝心のところがなんだかうまくうなずけない。そもそも貨幣ってなんで使えるんだっけ? はたまたマクロな経済ってどうやって膨らんだり縮んだりするんだっけ? 私にはいつまでたってもミステリアスだ。ファンタスティックだ。単に無知とも言うが。

それに。この小説は「悪貨は良貨を駆逐する」という発想に貫かれている。だが「それはまずいだろ」という立場からのストーリーでもあった。しかし、偽札であれ真札であれ「流通した通貨が良い通貨」という判定はありえないのだろうか。少なくとも「流通した小説が良い小説」と同じ程度でいいから。そうした究極のマネーロンダリングのことを、我々は資本主義と呼んできたのではあるまいか。

それはそれとして。

かつてNAMのシンポジウムが早稲田であったとき、たしか島田雅彦柄谷行人と一緒に壇上にいた。柄谷さんは半分くらいはマジだったろう。でも島田くんはせいぜい5%くらいのマジさでつきあっているだけだろう。私はそうふんでいた。

そうふんでいたから、この小説がエンタテインメントを超えないことは最初から承知していた。

いや、マジにNAMで世界を変えようという人なんて、マジにオウムで世界を変えようというくらい少数派だろう。まして、名も地位もたぶん金も十分にあるこの作家が、まさか日本円システムの崩壊を心から望むはずはない。(名も地位も金もない私ですら、そんな事態をただちに支持する気にはなれない)

とはいえ、小説は現実ではないので、私はもっと「悪夢が良夢を駆逐する」世界に浸りたかった。偽札に罪を感じ結局は必死で食い止めるストーリーなら、それはただの良い夢だ。法より金より恋を選んだ女性警察官だけは悪夢に飛び込もうとしたのだろうが、でもその話はそもそもあまりにきれいな夢。

読み始めて「やったね、ついに最高傑作か」と心躍った。でもそうではなかった。――こんな辛口感想で申し訳ない。教養と想像力に満ち満ちた同世代の作家として島田雅彦には期待するところ本当に大なのだ。

さてさて。

人殺しのテロを私は全否定したくない気もするが、だからといって肯定はしない(5%ほども)。しかし、人を直接殺さないような経済のテロ(金殺し)ならオケーとしばしば考える。

何度か書いたが、衰退土建産業路上派がパワーショベルで群れをなし腐れ銀行のATMをいっせいに襲う都市ゲリラ戦。六本木ヒルズ屋上あたりから人びとが次々に自ら所有する日本銀行券すべてを投げ捨てていく自爆テロ。などなど。これほど漫画的でないから好かれなかったのかもしれないが、NAMだって経済テロの資格は十分だった。そしてもちろん『悪貨』の偽金テロは、それらを上回ってエキサイティングではあった。


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台風の一日。東京も風は吹いた。自転車を諦めて職場まで歩く。雨はほとんど降らなかった。