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【2019 輪廻転生】

読書記録 2010年(2)


近ごろどれほど本を読んでいないことか。いやこう言うべきだ。生涯で本をそれなりに読む期間は、あったとしてもどれほどわずかしかないことか。暗澹たる気持ちになる。少しの時間しか読書にあてられないのが動かせない条件なら、それでも意義ある読書を実現するにはどうしたらいいか。答えは1つ。読む本を選ぶこと、減らすこと。自分がつきあうべき本とつきあう時間を保つためには、たいしてつきあいたくもない多数の本と漫然とつきあうのを意識して避けることだ。(以下はその実践というわけではないのだが)

もうひとつ。本の電子化が進むと、寝床や風呂で本を読んだり、あるいは何でも図書館で借りればいいやということが、なんだか難しくなりそうで、心配。


「悪」と戦う/高橋源一郎
 「悪」と戦う
 刊行に合わせた著者と東浩紀とのトークイベントが青山ブックセンターであり、私はニコニコ動画の中継でそれを見た。高橋源一郎の今の最大の関心事は、小説というものが公共的な存在であるということ、あるいは、小説の登場人物に対してであっても何でも勝手にできるわけではないこと、を巡っているようだった。
 イエス・キリストは現代人にとって観念の中の存在といえる。言葉は聖書にしか刻まれていない。姿や声は伝説にしかない。そして、キリスト教徒がイエスに何を問いかけようが、イエスは絶対に何も応答しない。
 村上春樹はイエスみたいなところがある。ところが、同じ現存する作家であっても、高橋源一郎はまったく違う。高橋さんは気安く降臨する。あっちにもこっちにも(ツイッターにも青山ブックセンターにも)。神と人が質疑応答できるようなものだ。「悪とは何ですか?」「文学に公共性があるとして、では公共性のないものなんてこの世にありますか?」「文学と政治がじつは別ではないなら、いわゆる文学のようにいわゆる政治をしてもいいですか?」
 …しかし、そんな問いがマジに神に伝わってしまい、あまつさえ神が答までくれてしまうとしたら! 我々はむしろ口をつぐんでしまいたくなるのではないか? イエスや神は無言であるがゆえに、人びとの信仰や観念は無傷ですむと思うのだ。
 しかし、ここではやはり、逆にイエスも人であったことをこそ思い起こすべきなのだろう。


文学なんかこわくない/高橋源一郎
 文学なんかこわくない (朝日文庫)
 たとえば高橋源一郎も「文学とは何か」そして「言語とは何か」を徹底して考えている。だからその問いは言語哲学と同じにみえる。その問いを展開していく道具として言語を用いるところも言語哲学と同じだ。しかし、実際に高橋源一郎が考えたり述べたりする内容は、言語哲学とまったく似ていない。つまり言語哲学は完全に理屈の世界であり、マルかバツかをその時点で必ず明らかにする。高橋源一郎の思索は、一定の理屈を示した上、その理屈を超えたところに「なにか本当に大事なものがありそうだね」と言って終わる。「言葉では説明できないよ」ということになる。
 言語を言語によって説明するのは原理的に不可能なのか? 
 私はずっとそう思っていたが、それは錯覚であり、言語を説明するのは音楽や絵画を使っても難しいと、最近は考えるようになった。だいたい絵画や音楽は言葉を材料にしていない。言葉を材料にしていない絵画や音楽を言葉に置き換えることのほうが、よほど無理だとは言えまいか。一方で、哲学は言葉を材料にしている。それ以外のものは1行もない。ということは、フレーゲウィトゲンシュタインの哲学はとても難しい文章であるとはいえ、それを言葉で理解し解説するのは、絵画や音楽を言葉で理解し解説するのに比べたら、かなり正確にできるはず、と思うのだ。
 さて、では文学とは何だろう。
 文学もまた哲学と同じく言葉を材料にしている。しかしそれでも、たとえば高橋源一郎の小説は、言葉に置き換えて理解するものではなく、いわば絵画や音楽のように言葉ぬきで鑑賞するほうがふさわしいのだろうか。そこがよく分からないのだ。ただ、「文学は理屈ではない」という言い方には錯覚や欺瞞が含まれていることもまた間違いないと思う(その理由を上に書いた)。言語哲学はたしかに食パンのように味気ない。しかし言語哲学は文学のように曖昧さを許容したりはしない。

 ◎文学なんかこわくない(過去)
  http://www.mayq.net/bungaku.html
  http://www.mayq.net/kaseijin.html(後半に)


哲学の歴史〈第11巻〉論理・数学・言語/飯田隆
言語哲学大全1 論理と言語/飯田隆
 フレーゲについて知りたいと思い、少し読んだ。後者は難しいがきちっと落とし前をつけている本だと思う。毎度そんな茫洋としたことしか言えないけれど、改めて勉強にはなった。
 ◎言語哲学大全(過去)
  http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20100602/p1
  http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20060702/p1
  http://www.mayq.net/junky0101.html#010226


社会学入門/稲葉振一郎
 社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)
 ウェーバーマルクスがざっくり理解できて有益だった。
 著者のブログはいつも雑食性を感じさせるが、同書の挙げている参考文献がまたとても多彩なのが印象的。いわば総合診療科の学者としても頼りにすべきではないか。経済や文化を考える患者、人間や倫理に悩む患者、進化や意識も知りたい患者。それぞれ、とりあえず効く薬を出す、教養のかかりつけ医。


告白/湊かなえ
 第1章を読んで「終わりか。面白かった」と思っていたら、違った!


1Q84 BOOK3/村上春樹
 → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20100508/p1
 ◎1Q84(この際、過去一掃)
  http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090528/p1
  http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090530/p1
  http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090617/p1
  http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090819/p1
  http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20100504/p1


敗北を抱きしめて(上)増補版/ジョン ダワー
 
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人

 大戦後の日本社会を本当にみごとに描出している。私にはそう感じられた。そしてさらに思った。かくも巨大な破壊と再生。それを直接体験できる時代に自分は生まれなかった。それがどれほど苦しい体験であったとしても、戦後のグダグダの生のほうがこの上なく安楽だと思いつつも、それを補って余りあるファンタジックな激変を体験できたのにと思うと、惜しい。

 ◎朝日新聞の企画「ゼロ年代ベスト50」がきっかけで読んだ。
  http://book.asahi.com/zeronen/TKY201004050130.html


退廃姉妹/島田雅彦
 退廃姉妹
 上の『敗北を抱きしめて』を併読するとより良いのではないか。

《売春という言葉は知っていたが、文字通り春を売る仕事と考え、菜の花の束を抱えて微笑む少女の姿を想像していた。それはうしろめたいことというより、春の陽気にも似てほのぼのと「ようよう白くなりゆく」もののように思っていた。》

 ああ私は島田雅彦と同じ国に生まれ同じ国の学校で勉強してきたのだなあ。


貧乏人の逆襲! タダで生きる方法/松本哉
 貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法
 ちょうどこの頃、下北沢の駅前に卓袱台を置いてネットラジオ放送している最中の著者と遭遇した。


養老孟司の人間科学講義/養老孟司
 養老孟司の人間科学講義 (ちくま学芸文庫)
 細胞は遺伝子を情報として処理するが、脳もまた情報を処理しそれが言語として扱われる。この見方は、養老さんの独創かどうかは知らないが、やはり決定的な見通しを与えてくれる。
 実はチョムスキーも、2002年の論文で、遺伝子と言語の情報記号としての共通性に言及している。もし火星人が(と本当に書いている)地球人を観察した場合、遺伝情報はあらゆる生物が同じ仕組みを使っているのに、コミュニケーションでは人間だけが言語という特別な仕組みを使っていることに気づくだろう、という趣旨のことを書いている。これを読んで、チョムスキーはやっぱり本当に偉大だ、少なくとも本当に面白い、と感じた。
 私のハブ本=本棚本の1つ。

 ◎人間科学(過去読書)
  http://www.mayq.net/ningenkagaku.html
 ◎このエントリーは養老思考が元
  http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20100325/p1


考えるヒト養老孟司ちくまプリマーブックス
考えるヒト (ちくまプリマーブックス)
《視覚と聴覚の共通の情報処理規則が言語ではないか》

 この指摘もまた、養老本によって眼を見開かされた重大ポイント。

《近代言語が視覚系と聴覚系の共通の情報処理規則として成り立つという、すでに述べた原則からすれば、そうした諸感覚に固有の特性は、言語の体系からは排除されていかなくてはならない。さもなければ、聴覚系の情報処理と、視覚系の情報処理は、「共通規則」として成立しないからである。だから言語の進化とは、じつは聴覚系、視覚系に特有の性質が、言語から「落ちていく」過程なのである。だから漢字は、具象的な記号から、抽象的な記号に「進化」するのである。だから擬音語は、幼児のことばなのである》


新・資本論 僕はお金の正体がわかった/堀江貴文
 新・資本論 僕はお金の正体がわかった (宝島社新書)
「お金とは信用である」「信用さえあれば、お金がなくてもなんとかなる」あたりがキモか。

 べつに市場経済がすべてじゃなく、贈与(あげたりもらったり)もあれば、国による収奪と再分配(税と財政)もある、と柄谷行人は述べている。そこからすると、ホリエモンの思いはけっこう、市場一辺倒というより贈与の経済にも近いのか?


パタゴニア椎名誠
地球どこでも不思議旅/椎名誠
 椎名誠の本は80年代初頭のスーパーエッセイくらいしか読んでいない。旅行記をどうして読んでこなかったのだろう。後者では敦煌まで鉄道とバスのツアーで出向き、莫高窟そして鳴沙山と月冴泉を観光している。


さよなら、サイレント・ネイビー/伊東乾
 さよなら、サイレント・ネイビー ――地下鉄に乗った同級生
 オウム真理教地下鉄サリン事件を扱ったドキュメント。なのだが、これって何の話なんだろうと思える展開がかえって面白かった。友情という要素も独特の魅力をこの本に付加していると思った。オウム、サリンはもう過去の出来事になった。しかし彼らの本意はいったい何だったのか。それを検証した定番の本はちゃんと存在するのだろうか。同書のように彼らの心情の理解を前提にした、あるいは少なくともできるかぎりニュートラルな立場から迫ろうとした考察は、少ないのではなかろうか。たとえば、全共闘の検証本・理解本なら腐るほどあるような気がするのに。


生活/福満しげゆき


電子書籍の基本からカラクリまでわかる本


わかりやすく伝える技術/池上彰
 勉強になる。


例題で学ぶ統計的方法


恋愛太平記金井美恵子
 読んだというほど読んではいないのだ、実は。
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20100607/p1


年間30日、ハワイで暮らす/山下マヌー


アウステルリッツW・G・ゼーバルト(読書中)
 参考:http://d.hatena.ne.jp/bubbles-goto/20100307/1267970528


猫と庄造と二人のおんな/谷崎潤一郎(読書中)


*こちらからの続き
 ◎http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20100311/p1