東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ワンダーランド

●とくに前後の脈絡はないが、メルヴィルの小説『白鯨』を読んでいる。いつも思うが、長い小説を読むのは長い旅行をするのに似ている。長さゆえにもたらされる特殊事情それ自体を堪能する中毒性を抜きにしては、その醍醐味を語れない。●さて、この『白鯨』の語り手イシュメイルは、なぜ船に乗ったのか。《陸上には何一つ興味をひくものはなくなった》からだ。《口辺に重苦しいものを感じるとき》《心の中にしめっぽい十一月の霖雨が降るとき》《わざわざ町に飛びだして人の帽子を計画的にたたきおとしてやりたくなるようなとき》《できるだけ早く海に出てゆかねばならぬと考える》(阿部知二訳)。これは、私たちが先の見えない青春あるいは先の見えない晩春をどうにも持て余したあげく、「そうだインド行こう!」とかなんとか、なおさら先の見えない航空チケットをふいに手にするのと近いものがある。●捕鯨船はいったん航海に出ると2年や3年は帰国しなかったという。故郷や家族と離れるのはもちろん、世間日常の営みや情報というものから完全に隔絶した状態で、地球の辺境ばかりを定まることなく動き回る。そうした破れかぶれの心情がまた、現代のバックパッカーには受け継がれたかもしれない。●鞄一個を抱えたイシュメイルが、捕鯨船に乗り込もうとやってきた港町で、まずしなければならないのも、やはり安宿を探すことだった。むろん格安旅行における期待と不安いっぱいの定番業務だが、イシュメイルはその最初の晩からとんでもない男と同室になる。はるか南洋の孤島から鯨の銛打ちとして来ていたクィークェグという男で、顔と全身の入れ墨や、腰にぶらさげた頭骨、寝床に入る前の儀式など、想像を絶する風体とふるまいに仰天してしまうのだ。しかし二人は友情を深め、同じ捕鯨船の相棒として命運をともにすることになる。それでもイシュメイルは、クィークェグのことを尊敬しつつ「人食い」「蛮族」「邪教徒」などなどさんざんな言い方をしている。●実をいうと、海外をあてなく旅する人は、こうした文化的な仰天にあわよくば遭遇したいと願っている。しかし、今たとえばアメリカを旅行してどこかの町でクィークェグほどの衝撃に出会えるかというと、なかなか難しいだろう。いやアメリカでなくとも、現代文明によって均質化した慣習や価値観あるいはインフラというものは、地球の隅々に行き渡りつつあるようで、異境への憧れのことなど意に介してはくれない。

●ところが、なるほどアメリカでは消えたかもしれない仰天遭遇が、こと中国でなら今なお十分可能だという確信がある。先月のこと、NHKで「麦客(まいか)」というドキュメンタリー番組を見たのが忘れられないのだ。何気なくつけたテレビに、中国大陸の茫漠とした幹線道路を、なぜかコンバインが20台も30台も連なって疾走するシーンが映って、目が離せなくなってしまった。●中国の河南省に麦の大産地があり、実りの季節には麦刈りが集中して行われる。どうやらコンバインはその収穫作業のために遠く河北省から集団で越境してきたらしい。なんでも河北省では経済開放政策のおかげで金回りがグンとよくなった農家がいて、投資としてコンバインを購入し、河南省まで出向いて刈り入れを請け負い、それでまた一儲けしようと、そういうビジネスが生まれてきたのだという。●それにしてもびっくりではないか。あのコンバインがそのままアスファルト道路を走るのだから。農家の父ちゃんや母ちゃんが、それぞれ虎の子のコンバインに自ら乗り込み、二晩ほど寝ないで運転し、一団となって南進していくというのだから。ようやく河南省の麦畑に到着すると、こんどは現地の農家の父ちゃん母ちゃんとの間に発生する、けんか腰の値段交渉がまたすさまじい。これらのことごとくが、経済成長や農業近代化といった意味を超えて、目を見張らずにはいられない。そう、『白鯨』で語られる捕鯨業の有りようのごとくだ。

●しかし、仰天はこれだけではなかった。●もともと河南省の麦刈りでは、鎌一本を手に出稼ぎにやってくる人たちが昔から活躍している。番組では、コンバインの大移動と平行し、この出稼ぎの一団をも追っていく。彼らはいっそう遠く、さらに内陸の回族自治区という所からはるばるやってくる。頭には回教徒の白い帽子。彼らはまず路線バスで西安まで出て、そこから列車移動となる。ところが、持ち金が1人75元(1元=14円)しかないらしく、切符など買えない。だから貨物列車にそろって只乗りするのが通例だという! 貨物駅近くの線路ぞいにたむろしていると、駅員に追い払われたりもするが、適当な貨車を探してどうにか忍び込む。現地入りした後のインタビューでは、たしか、貨車では夜通し風が激しかった、手足や顔が煤で真っ黒だ、などと苦笑いしていたと記憶する。彼らは鞄すら持たない。穀物入れに使われる白い袋で代用している。袋の口をしばり棒を通して上手に担ぐ。●「麦客(まいか)」とは麦刈りの働き手を表す言葉だ。コンバインで刈る人が「鉄麦客(てつまいか)」、手で刈る人が「老麦客(ろうまいか)」と呼ばれる。当然だが、麦刈りに要する時間はコンバインのほうが圧倒的に早い。だから重宝されるし、一日に稼げる金も莫大だ。逆に、手作業の彼らは、コンバインの入れない土地しかあてがわれず、賃金も下がってきた。番組では、伝統的な職能集団である老麦客が、経済開放で出現した鉄麦客に駆逐されていく現実を見つめつつ、それでも鎌一本の仕事に誇りと熱意を失わない彼らに、そっとエールを送る。●そんな彼らの姿は、今から思えば、クィークェグに出くわしたような驚きだった。

●つくづく思う。中国は途方もなく広い。腰を抜かすほど奇異なことにまだ出会う。それは、19世紀アメリカの捕鯨について聞かされる驚嘆にも匹敵しよう。現在の中国は沿岸部を中心に経済発展が著しいと言われる。しかしそうであっても、いや、そうだからなおさら、信じられない話、面白すぎる話は、どこへ行っても、どこを切っても、こうしてぼろぼろこぼれ出てくるにちがいない。

●なお、上記ドキュメンタリーは02年に制作されたハイビジョン番組。大きな賞も受けている。私が見たのは再放送。

●それにしても、だらだら書いてずいぶん時間を食った。それより『白鯨』を読み進めればよかった。まだ半分。

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白鯨〈上〉 (1956年) (岩波文庫)