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【2019 輪廻転生】

反アート入門/椹木野衣


反アート入門


美術作品の喚起力はとても強くしばしば小説や映画を上回る。それなのに、美術を見にいったり美術に関する本を読んだりということをあまりにもしていない。それでも、言語のことや生命のこと、あるいは生死について考えるのと同じくらい、美術は深く考えるに値する。

そうした期待に十二分に答えてくれた1冊。椹木野衣にずっと興味があったが、初めて考えの全体に触れられたかもしれない。『日本・現代・美術』は未読。


――以下は同書のランダムな記録 《  》は写し書き *は私のメモ


<第一の門 アートとはどういうものか>


2 ジャンルはどのように分化したのか

《近代のアートは「神の死」から始まりました》
《だから、近代以前ではアートは存在していなかったと言ってもいいでしょう。それは徹頭徹尾、市民によるものなのです》
キリスト教が全盛の頃、それらは建築でも文学でも音楽でも美術でもなかった。


3 絵画はもうなにも語ってくれない

《絵画において神の死が意味するのは、このような万能の中心が機能しなくなったことです。それは画面のすべてを一点で統括する絶対的な視座が、もはや見いだせなくなったことでもあるのです。

*ここから一気にアメリカの戦後の現代美術に行くが、そのつながりについては再読を


4 すべてはアートのために

ミニマリズムについて。ジャスパー・ジョーンズ、そしてロバート・ラウシェンバーグ
《勝手な一手を打つことは許されません》
《九割九分の差し手は、すでに読まれています。読まれているということはどういうことかと言うと、それは歴史的に見て有効ではないということです》


5 アートから表現を追放する

フランク・ステラ
絵画は、画家がみた対象やなにか心に思い描いたイメージを、心の内から外へ表出したものを指すのではない。そこからはいっさいの描写対象が排除されている。
《描きたいものを描くのが絵なのではない。「描くべきものは、最初から決まっている」のです》
慣れると、中途半端に表現的な絵を見ると、なんだかまどろっこしく見えてくる。
*痩せ細る芸術、という気がしないでもないが。


6 批評家がアーティストになった

《ほんとうは批評がなければ作品も成立しません。
 考えててもみてください。誰にも見られないで「作品」が成り立つでしょうか》

かつては神がすべてを見ていたので、批評家は必要なかった。けれども神は死んだ。

《こうして批評家と作家は双子のような存在として近代に産み落とされました》
《作品とは、それを作った物ですら自由にはできない、むしろ作り手である自己を激しく対象化した一種の批評行為であり、けれどもそれゆえ、それを作った物以外の誰もが、それについて自由にかがることができる、共有の存在でなければならないのです》


7 アートを滅びの渦中に

写真家の瞬発力や行動力よりも、写真にはもっと即物的で無意味に機械的な機能のほうが大きく備わっている。

《デジカメによって全包囲されたかのようなわれわれの環境には、もはやオーラなどはおろか、それが写真であるということ自体が、完全に見失われつつあります》

郊外を写すことについて。

《ともかく今日、写真はなんら特別なものではない。特別なものでないのなら、写される対象もとりたてて貴重なものであったり、ことさらに非日常である必要もない。目の前にある対象を、できるだけ作為を込めず、そのまま撮るということこそ、写真というメディアにふさわしい態度なのではなかろうか。
それに比べると、これみよがしに追ってくる「未開の自然」や「都会の混沌」のような被写体は、どこか作り込まれすぎている。なにか不自然である。作為的で、ロマンチックすぎる》

*ここは戦後の現代美術誕生史というところだろうか。


<第二の門 アート・イン・アメリカ


1 *メモなし


2 MoMAという新規格

《まったく反対に、アートというのはもう、そういうのには飽き飽きして、もっとわかりにくく少数の人にしか理解できない、敷居が幾重にも高くて「大衆」が近付く暇のない、いわば人の生にとってなんの役に立たず益にもならない純粋に無意味な世界を欲望する、そういう気持ちから生まれているのです。
 ところが日本の美術展のたぐいは、なにか、そこで人生についての理解を深め、教養を高める、たまさか美の世界に触れるための、ちょっと気位の高い付加行為くらいのものだと思われている。
 そこからして、まちがいなのです。
 繰り返し言っておけば、アートは映画や音楽と並び称されるような意味でのエンターテインメントではありません》

日本画の出自のおかしさ。フェノロサヘーゲル派の哲学者)が、日本の絵画はかくあるべしという理想に基づいて、伝統的な画風や画材を再解釈して作り出した。


3 ポップアートと死の平等

アンディ・ウォーホルについて。

ウォーホルが行ったのは、近代以後においては作り手の人格やキャラクターのほうが作品に先立つという、
暗黙の事実をはっきりと認め、むしろそれを暴露するような試みであった。

なぜウォーホルはそのようなことをしたのか。《端的に言えば、このことを通じて、彼は芸術の脱神格化を推し進めようとしたということになるでしょう》

キャンベルスープやコーラのビン。吉野家の牛丼やコンビニ弁当をアートの主題にしたようなもの。

さらに。

《けれども、アートといえども、近代以後はやはり社会の一部であり、その境界線をなぞりはしても、そこから完全に逸脱してしまうことはありません。逆に言えば、そこがアートの限界であり可能性でもあるのです。ウォーホルが死の匂いをプンプンさせながら暴露してみせたのは、まさしくこのアートをめぐる「生き死に」の境界線でもありました。
 この境界線がはっきりと示されれば示されるほど、その内部で争われるアートの様相は、熾烈を極めます。ゾンビのようなキャラクターが、様々な明星や歴史的評価、その上昇と失墜をめぐって、地獄の沙汰のような争いを、飽きることなく来る広げるのです。
 これこそが、ウォーホルの言いたかった世界であり、ポップアートの真実なのです。
 それは死をことさらに重く、深刻で意味に満ちたものとしてイメージさせるようなチンプきわまりない美術作品などよりも、ずっと凄惨で、化け物じみた今日のアートの様相をみごとに写し取っています》


4 パフォーマンス――全方位のアート

ゴッホの絵を見に行っても、ゴッホの絵自体は、まるで刺身のツマだ。「これが耳を切ったゴッホの絵か」と。(*通俗的な美術鑑賞への批判)


5 概念とアート――手技なき消耗戦

発注芸術。「アーティスト=ものを作る人」では必ずしもなくなった。アーティストの役割が、作ること から 考えることへ。

古代ギリシアでは、肉体を駆使する者は思索や詩作をする哲人よりも劣るとされていた。そうした頭脳重視の偏重に対して肉体の復権が起こったのがルネサンスでしたから、芸術における手技の重視そのものが一種の対抗文化というか、一種の揺り戻しのなかで起こったとも言えるのです。

*おもしろい! いわば「頭か体か」

思い切って言えば、アーティストが駆使するのは終局的には頭脳であって、かならずしも手ではないのです。
ところが、日本は昔から技が重視された。

アンディ・ウォーホルについて。

《ウォーホルが、従来のアート表現において重視された自己表現や造形に変わって端的に「反復」という形式を徹底させたのも、「表現」や「造形」をブルジョアに特有の営みと考え、ぜいたくな手仕事よりも無個性な工場生産を重視したことを意味しています。資本主義の真っ只中にいながら、共産主義的な競争なき規格生産をアートにおいて打ち出すことによって、ひそかに反資本主義的な姿勢を保ち続けようと言ってもよいかもしれません》

共産主義が解体し、ソ連も現代美術に加わる。グローバリズム。このころから、従来はベネチアビエンナーレや、ドクメンタしかなかった国際規模のアート展が、世界の至るところで開催されるようになった。(しかし)それまでは次代のアートを先んじる大胆な実験の場だったのに、現在、そのような説得力をもつ国際展はない。

《世界に向けての問題提起というよりも、世界中に張りめぐらされ、暗黙の初期設定となった均質な流通を基盤に、むしろ、とにかく無難に開催から開幕まで持っていくことに価値が置かれているかのようです。

今日の国際的なアート展は、国際的なアートフェアと、あまり差がなくなってきている。


<第3の門 冷戦後のアートワールド>

1 アメリカのアートがすべてではなかった

レーニンは、共産主義を実現する肝要が社会インフラの電化にあると考え、そこからテルミンが生まれた。それがクラフトワークへ。

私たちが戦後の美術史を学ぶ教科書は、冷戦期に西側で使われていた教科書にすぎない。きちんとした書き換えが進んでいないまま使われていると言ってもいい。

日本美術史も、考えてみればほとんど東洋美術史に含みうるものばかり。

《同時に、そのなかに入り込めない異質な要素は周到に排除されています。かつて岡本太郎が注目した「美術」ならぬ「呪術」とは、そういう排除の対象(東北、沖縄、縄文)からなっていました》


2 ウェストコーストからの妄想と惨劇(アメリカ西海岸のアートはそのころどうだったのか)

ホワイトアルバムは、マンソンにとって秘密の告示だったという。

ジム・ショウ。作者がいることを暗黙の了解にしているが、それが永遠に欠けている。しかし、絵とは本来、そういうもの(*作者って何だよ?)だったかも

村上隆について。あれは金儲けであって芸術ではないというふうに反発されている。しかし…

《ところが村上隆は、金儲けそのものが芸術行為となる時代がきたのだ、と言っているわけですから、この議論は平行線をたどるしかありません》

そもそも歴史的には「あんなものは芸術ではない」と呼ばれたものが、後に美術として認定されるというかたちで進んできた。

《いま、アートの世界はおそろしい勢いで投機的な対象領域としての需要を伸ばしています》

ただし、アーティストの評価や値段は、株と違い、いったん落ちたらもう上がらない。


3 パンクなイギリスの若き台頭者たち

ダミアンという作家の作品を、ヘッジ・ファンドで知られたコーエンが、現代美術の当時史上最高額で買い取った。


4 アートはメチャクチャやってよい――中国の新世代

ツァイ・グオチャン。

《彼らが語る西側の現代美術というのは、デュシャンにせよウォーホルにせよ、踏まえるべき歴史というのではなく、使い勝手のよい踏み台のような印象です。乗り超えるべき重圧ではなく、彼らを自由にしてくれる便利な加速装置、といった感じなのです。
 これは欧米でアートを目指そうとする者が持つ姿勢とは、まるっきりちがうものでした》

ところが中国の彼らは美術の歴史やルールに重圧は感じない。プロパガンダ芸術から抜け出し未知の領域に飛翔するためのロケット発射台のようなものだった


5「作らない芸術」があってよい

そんななか、日本のアートはどんな動きを見せていたのか。

それまで日本の現代美術の主流は「もの派」という動向だった。出発点であるはずの「物」を、むしろ到達点として使う手法を探すようになった。関根伸夫。リー・ウーファン。

《六〇年代末に始まったとされるこの美術の運動は、日本の美術界でもっとも論争をなす中心的な話題のひとつとしてあり続けています》

(*ただし)もの派といっても、ただ物をそのまま置けばいいのではない。

《そのように絞り込まれた要素だけを使って素材だけを置けば、そこからイメージのような不純なものが浮かび上がってくることは、たしかにないかもしれません。が、その絞り込まれという一点において、「それ以上」を回避しようとすることの反対に、こんどは「物」が「それ以下」の状態になってしまうのです》

もの派は、そうした物自体を目指したわけではない

もの派と呼ばれる作家の多くは、斎藤義重という美術家の教室から排出されたと言うことになっている。

《「作らない芸術」があってよい――それは、彼らにとってはまさしくコペルニクス的な転回です》(*彼らとはリー・ウーファンの作品をみた西洋人のこと)

けれども、それをいったん受けいれたら、あとの者たちは、どうやって創作を継続することができるのか。

《こうして美術家たちもまた、「作らない」ことを発見したあとで、そのことと「作ること」との関係について、もう一度考えなければならなくなりました。おそらくそれは、とてつもなくむずかしい、答えることがほとんど不可能な値であったと思います。彼らは、自分たちが踏台に据えてしまったこの命題のむずかしさに、ほとんど立ちつくし、絶望すらしたのではないでしょうか。
 実際この地点から再出発をし、「作らないこと」をはらんだまま真に作家的個性と呼べる次元にたどり着いた者は、ごくわずかであったと思います。たいていの者は、なし崩し的に「作ること」を取り戻し、困難な前提を忘れることで、美術館やギャラリーの制度的な空間へと、ふたたび戻っていったのではないでしょうか。
 そんなふうですから、さらに若い世代が登場し、この問題を継承しつつ同時に創作者であり続け、なおかつ前世代とは別のことをしなければならないとなった時、ある種の保守感が生じたのは仕方のないことでした。少なくとも、わたしにはそういうふうに見えました。「現代美術」であるにもかかわらず「保守」というのは、この問題の困難さがほんとうには意識されておらず、意識されていたとしても、その如何について厳密に批評されることがないまま、なかば既得権となりつつあったジャンルの枠によって漠然と守られてしまう、そのことに安住している表現が、あまりにも多いように感じられたからです》

*この歴史はどうなったか。その例として椹木は、一九七〇年代以降、銀座や神田の貸しギャラリーを発表の場とした、もの派以後の新世代をあげている(つまりそれを批判している)

八〇年代になると、こうした新世代の動きを、「ポストもの派」と呼ぼうと提案する展覧会も開かれた。

(しかし)《そこでは、先に挙げたような「作らないこと」との直面や、「空間とは異なるひろがり」のようなことについては、ほとんど批評的に吟味されることはありませんでした》

つまり「もの派」から「ポストもの派」へ。しかしその禅譲は、《うまくいかなかったように思われます。なぜなら、この流れとはまったく異質な動きが、最初は関西から、次いで東京から、かつて一九六〇年代に放たれたのとは別の「熱さ」を持って、矢継ぎ早に登場し始めたからです》

*これは、次節で出てくる関西ニューウェイブ、ニューペインティング、へたうま などを指していると思われる。一種の「脱・現代美術」の現象.

千葉成夫『未生の日本美術史』。もの派についての数少ない徹底した論考。(*もの派について基礎情報を知りたい)


6 「現代美術」から逃げ出せ! (*このタイトルは言い得て妙だ)

《…現代美術はいつの頃からか、政治・経済といったなまなましい現実とは縁を切り、進んで彼らだけのマニアックな世界(と言ったらいいすぎかもしれませんが)へと引き籠もっていったのです。
 感じとしてはおおよそ一九七〇年代を通じて、こうした過程がゆっくりと、しかし確実に進行しました》

*基本的な位置づけと思われる。

事態は、現代詩、現代音楽、現代舞踊、現代演劇もよく似た現象がみられた。

かつて「現代」はとても解放感のある言葉であった。それなのに…

《かつて明るかった「現代」は、その内実はまったく変わらぬまま、いつのまにか暗く、陽の射さぬ領域へと沈下していったのではないでしょうか。
 いささか時代は飛びますが、こうした「あきらめ」のセンチメンタリズムをひきずるようにして登場したのが、一九八〇年代に動き出した「関西ニューウェイヴ」であったと言えます》

挑戦的といってもよい色彩の氾濫。身体や写真といった様々な表現メディアへの拡張。ダイナミックな造形。

東京ではニューペインティングに呼応した。横尾忠則大竹伸朗日比野克彦。アートとデザインの境界線を股に掛ける。イラストや漫画からは、ヘタうま。湯村輝彦蛭子能収根本敬

《そして九〇年代に入ると、この「現代美術」から「アート」への切断面をバネに後のアート・ブームを切り開くさらに大きな動きが出てきたのです。村上隆ヤノベケンジ会田誠といった作家たちが一気に出揃ったのは、まさしくこのような状況下でのことでした。そして、その原動力となったのは、どう見ても「もの派」以後の流れではありません。彼らは「作ること」自体にはなんら疑いを持っていません。むしろ、過剰に「作る」ことのなかから、なにか怪物的なものを取り出そうとしている感すらあります》

ただし、80年代から90年代初頭にかけて起こった、アートをめぐる「パラダイムシフト」を、国内の美術館できちんと対応できているところはほとんどない。

*ここの日本の現代美術史は非常に興味深いのでもっとよく知りたい。(私は80年代に福井県にいて現代美術に興味をもち、90年代には東京都現代美術館でいくつか見た。横浜トリエンナーレにも出かけた)


<第4の門 貨幣とアート>

《アートはいま、どんな位置に置かれているのでしょうか》

*この章は、かような問いなのだ

赤瀬川原平。ジェームズ・スティーヴン・ジョージ・ボッグス。 *メモなし

*これらを踏まえたあとで、以下の展開は非常に興味深い。

そもそも《芸術作品は使用価値にもとづいていない》《その価値は、市場での株式証券にとてもよく似ていて、最初からヴァーチャル名者なのです》

いまアートの世界で起こっていることは芸術の堕落ではなく、それがもともと持つ野性が、思うがまま解き放たれてしまった生の状態なのです。

《二十一世紀の初頭に至り、アートはもはや目で見、手を使ってなにかを作る出すことよりも、情報をコントロールすることによって得られる、ヴァーチャルな価値のゲームと化しました》

《資本主義の交換過程のなかに精神の錬金術が潜在していることを読み取ろうとしたボイスや、どこかで資本主義の脱意味的な速度と価値破壊的な側面を肯定したウォーホルが身を置いたスタンスには、どこかで、資本主義社会の行く末について考えることがアートの未来につながっているという、ユートピア的な発想が見受けられました。ところが、いま起こっている事態は、そういうことでもないのです。資本主義経済の身につけた暴力めいた加速的進化が、アートが持つ精神的な価値の意味そのものを変えてしまっている。そんなことが起こっているのです》

*しかしここでは、蓄財としてのアートを、ただ眉をひそめるべきテーマとして示しているわけではないところが、興味深い。

《人間は純粋にヴァーチャルであろうとしても、原理的にそうあることが不可能なギャップを抱えている。宗教や哲学や文学は、このギャップを解消する者としてある。アートも例外ではない。ところが、ここで触れてきたような最新のアートは、可能なかぎりヴァーチャルであろうとした結果、すでに一種の実体なき数字と記号に還元されてしまっています。となると、そこでは癒されない渇望だけが残ります》

これを解決する方法は2つ。

一つは、生きながらにして人間であることをやめてしまうこと。

《精神的な価値や人間的な充足のいっさいを無意味なものと割り切り、数字と記号による蓄財に邁進することです》

*これを悪魔との契約と形容している。もう一つの選択は。

《それは、最後の最後で人間であることに踏みとどまることです。けれども、それもまた容易なことではありません。なぜなら、その「踏み留まり」のための試行錯誤とギャップの認識に発したはずのアート全般が、すでにその役割を、なかば放棄してしまっているからです。そして、いまこうしているただ中でも、世界はどんどんと仮想化されてしまっています。かつてのように、人間性(*ヒューマニズムとルビ)と言えばそれですべてが済んでしまうような時代は、とうの昔に終わってしまっているのです。どうすればよいのか、はっきりした答えはありません。けれども、逆に言えばそこにこそ、アートや芸術を復興するための、わずかな可能性があると考えます》

《悪魔との契約が交渉を持とうとするのは、決定論的な世界観です。それは要するに、なにをしても無駄だ、というような態度です。職名論的(*おそらくメモ間違い)な世界観と呼んでも、大きな違いはありません。絶望的な、希望の余地なき諦念の領域です。ところが、存在論的なアートの復権で賭けられているのは、非決定論的な世界との交流です。偶然や事故、予想不可能性や出来事への驚愕との関係を持つことです。これもまた、人間ということをはみ出す要素です。けれでも向いている方向はまったくちがっています。
 このような態度においては、どんなかたちであれ、そこに人間が介在していなければなりません。人間が介在していて、なおかつ、人知を超えた驚きを呼び覚ますもの。けっして奇跡や恩寵ではないのに、それに近い感情をいやおうなしに喚起するもの。そこに、新たなアートの基盤を見いだそうとするのです。

*このあたりこそ椹木の美術本質論といったものかも。具体的な作品としてどう現れているかを知りたいが。


3 絵画は紙幣に憧れる

赤瀬川原平の改めての評価。

《紙幣は、外見上美術作品を擬装することで価値の無根拠さを隠蔽しています。
 反対に絵画は、大量の紙幣と交換されることで高尚さを演出し、みずからが一点物の紙幣にすぎないことを隠しています。千円札を模写して一枚の絵画にすることで、紙幣と絵画の共犯性を見事に暴いてしまった赤瀬川原平は、だから、やはりひじょうに高度な次元での国家的知能犯だったのです。わたしは、こうした高度な次元で物質と形式が絡み合う非実体的な知のメカニズムこそが、アートの名に値すると考えています》

*同感!

(ところが)アートの世界でいま起こっているのは、作品の投機的価値の増進。欲望充足型のコレクターたちのような人間臭いフェティシズムがない。

《現代のアートがいまやその近代性をむき出しにしつつあるというのは、物であるにもかかわらず、いっさいのフェティシズムを喚起しないという、そういう意味でのことなのです》


4 アート〈キリスト〉貨幣経済

マーク・シェル『芸術と貨幣』「芸術作品と貨幣経済は同一の起源を持つ」。カギとなるのは貨幣の起源としての宗教=キリスト教。パンとワインがキリストの血と肉である。

芸術と貨幣の共通の特徴とは何か。《…単なる卑俗な物質が、その物質に留まらない非物質的な価値を運ぶ器となる、ということです》


5 ヒューマニズムの先へ

《アートとお金がいくら密接だからといって、ではアートにとって、すべてはお金との関係なのでしょうか》

*この節は、この問いから(もしくは疑いから)始まる。やがてキーワードとして、なぜか「ヒューマニズム」というテーマが浮上してくる。このあたりは美術総論といったもののようで、ある程度まとめて読み返さないとポイントをつかめないところはある。ともあれ…

《芸術やアートと呼ばれるものは、国家といったような富や力の源泉ではなく、なによりも人間と根源的な関わりをなさなければならないのです》

(しかし)《むずかしいのは、これが、いわゆるヒューマニズムと言った時に想定される含意とは、およそかけ離れた事態を指し示している、ということです》
《「この世界のなかでは人間が社会の中心をなしている。ゆえに、すべてのものごとは人間を基準に考えられるべきだ」ということは、けっして積極的に自信を持って打ち出されるような真実ではなく、まったく逆に、そのなかにきわめて不安定で根拠に乏しい、一種の絶望的な消極性を備えざるをえないからなのです》

その意味でハイデッガーが参照される。『存在と時間

《わたしが考えるハイデッガーの「人間」についての理解で重要な点は、人間とは「積極的なかたちではないけれども、なにはともあれ存在してしまっている」ということです》

*この章の結論はよくわからない。


<最後の門 アートの行方>

*ここまでの語りを通じ、現代美術の基本中の基本の流れが示されるとともに、そもそも近代の美術とは何か、そして美術とはいかなる営みなのか、そういった美術の本質論が、いくつかの観点で示されてきた。そういう意味では、この本は美術総論なのだろう。

*いずれの観点も重要なので、一つ一つについて引き込まれるのだが、著者の本当の思いは、全体としてまた核心として、なかなか姿をはっきりさせないとも言える。

*この最後の門に入ってその印象はますます強くなる。

*しかし最後の最後の「門のあとで」に至って、すべてが氷解し著者の思いが初めて直に伝わった気がした。そして、ここまでの語りがすべてつながった気がした。


1 私たちにとってのアートとは?

*イギリスのテート・モダンを評価している。

おもしろいことに、現代美術館でありながら、西洋古来の精神を、ただし昔のままの技法で再現するのではなく、21世紀という時代の精神や技術の発展の即してありうべきかたちを探り、洗練させて、一種にスペクタクルとして実現しているのです。

ここで再びハイデガーの「隠れ・なさ」というキーワードが重要なものとして浮上してくる。


2 「あらわれ」と「消え去り」のアート

言い換えれば「の、ようなもの」。日本のアートは昔からこの特徴をもっていた。たとえば水墨画

*これは日本人なら直感的に理解できるだろう。

《命というものはいつか必ず消え去るものです。どこかからやって来て、まだとこかへと去っていく。その意味では、命というのは広大な宇宙の中に偶然、ぽっと浮き出た「滲み」のようなものです》

*話が大きくしかも茫洋としていくようではある(この時点では)。しかし著者は、こうした生と死にかかわる実感をこそ、そしてそこに関わるアートについてこそ、語りたいのだろう(そのことは最後まで読んでわかった気がする)

《こうした脱ジャンル的な「あらわれ」と「消え去り」は、日本の昔ながら美意識や伝統といったものに限られた話ではありません。むしろ伝統美などと呼ばれるものほど、今日しゃちこばって、そうした嗜みからは遠く離れてしまいがちです。だから強調しておかねばならないのは、これは鑑賞のために金のかかるような話ではない、ということです。それは西洋の美術史に連綿と受け継がれたような、その時々の支配者や権力者が渇望した不滅性の美学などからは、ひどく縁遠いものなのです》


3「工」(わざ)よりも「趣」(おもむき)を

水墨画。描いたか描かないかわからないくらいの筆と墨跡で成立するのが優れた禅画だというのです。それは、ジョン・ケージ4分33秒」の領域に達してしまっていた。ケージは鈴木大拙の影響を受けて作った。

《このように、染みや滲みがほかのなにものかに生成するときには、意識もまた日常のそれを超え出て、非日常的な状態へと変成しています》

西洋のダ・ヴィンチなどは、これを受け容れない。


4 芸術には芸術の「分際」がある

柳宗悦の民芸について。


5 アートに宿すおそるべき混沌

パルテノン神殿を見に行った体験談。ここから「移動する聖地」という話になる。

歴史上、絵画の可動性がいちじるしく高められたのは、17世紀のオランダだった(それまでは教会のような聖なる場所から移動することは簡単にはできなかった)。オランダは資源に乏しく土地もない国。海へと繰り出して貿易するしかなかった。

《こうして新しい市民階級には、可動性の富という観念が根付いていきました》

財産とは、不確実な航海、賭けにも似た揺らぎのなかでそのつど形成される。これは株式会社の発想。

《こうした冒険的な揺らぎのなかで、美術に対する彼らの考えのなかにも新しい観念が芽生えました。稼働的かつ交換可能で、動かさない時にはインテリア(実用性)にもなる資産としての絵画という発想です》

この点では、絵画は紙幣に似ている以上に有価証券に近いものと言えるかも。

*しかし忘れてはいけないのは、ということで、そのような絵画の不確実性と表裏の関係にあるものの話になる。

《芸術とは宗教以前の段階を持ち、ゆえに呪術に近いものです》


6 「いま、ここ」が山となりアートとなる。

山とは、もともとは寺社の別称であり、そうした仏閣が建つ場所だった。そこを目印に冥界に入っていく。おかしなかたちの岩や石を入口に「こちら」と「あちら」がつながっている。

《…これは宗教に関わることではありません。むしろ、宗教すらそこから生まれ出てくるようななにかです》
《かねてよりわたしは、西洋のアートのように、ひたすら生産(むしろ創造と呼んだほうがいいでしょう)と永遠を目指すのではなく、こうした現れと消滅への志向から発するアートというものもあってよいのではないか、とくに日本では、そんなアートが必須ですらあるのではないかと、そう思っていました。事実、この国の美術やアートと呼ばれるもので、見る者に良質の体験をもたらしてくれるものには、なからず、そのような特質が備わっているように思われるのです》

西洋の美術は、古い新しいを問わず、キリスト教がいかに多大な背景としてあるか。日本人が横滑り的にアートをやっても、本質的にはその根幹に至ることはできない。キリスト教においては、物とは煎じ詰めれば肉なるものを意味する。それは永遠に不滅

《日本ではむしろ、仏教とか神道とかいう以前に、物質は体験を通じて実体として独立しておらず、刻々と変化する自然のなかでかたちを留めず、見る間もなく移りゆくものです》

わたしたちにアートがあるとしたら、欧米の価値観追従ではなく、案外そんなところから始まるのではないか。

では、そこに至るには? アートでなくて、もっと自然な能、お茶、書のような伝統によるほうが、自然なのではないか?

《けれども、わたしはそうは思わないのです。なぜなら、わたしたちの生がもはや、そうした自然さに沿って動いてはいないからです。だから、わたしたちはそういう「山」に至るために、むしろ不自然な動きをしなければならない。昔のように山に行けば、そこでなにかと出会えるとも限らない(結局、山に行かないのは、そのためでしょう)。もっと反自然的な振る舞いを通じて、そこへと至らなければならないのです。そのための技術が、アートというものなのです。
 昔の人なら、きっとそれを「呪術」と呼んだと思います》

しかしもう東北にも沖縄にも「山」はない。

《そうした「よそ」ではなく、「いま、ここ」が山となり、岩そのものとなるような体験でなければだめなのです》

こうしてわたしたちが立った新しいアートの入口は、ハイデッガーの「隠れ・なさ」ということと、どこかで通じ合っている。


7 いつの日かアートは解放され

《芸術はいま、ますます人間から切り離されて、神経工学的、条件反射的な娯楽現象へと整え直されつつあります》《人間から芸術を抜き出せばそれは動物となり、芸術から人間を取り去った時に残るのは機械にすぎません》

*この原則が改めて提示される。ただし…

《まちがえないでください。わたしが言ってきたのは人間中心主義や芸術至上主義というようなことではなかったはずです》

《別の言い方をすれば、動物は芸術をなすときはじめて人となるのであり、機械はまた芸術の領域に達した時はじめて人となるのです。この意味で人間とは、なによりもまず芸術と一対の概念です》

実はこれは大きな問題提起。なぜなら美術の歴史においては、個人の価値を超え出る芸術があるという暗黙の前提があるから。

《二十世紀になって芸術の各方面にわたり続々と登場したアヴァンギャルドに代表される反芸術論者たちは、実はおおむけ芸術至上主義者たちでした》

《しかし、ここで唱えているのはそうした依存的な反抗気質とはまったく無縁のものです。事実、わたしは過去の芸術的遺産は評価の点で尺度の見直しを多くなされるべきだと考えていますが、たとえそれが遅々として進まなくとも、現状はなお可能なかぎり尊重されるべきだと考えています》

*たしかに重大な問題提起と思われる。

あなたの人生で、あなたがもっとも感動した、ひどく心を動かされた場面を思い出してみてください。

《…はっきりしているのは、そこには人間においてもっとも貴重な瞬間と呼ぶべきものが、たしかに含まれているということです。
 わたしは、このようなことに勝る感動というものを、単体としての芸術作品はついに持ち得ないという確信のようなものを持っています。わかりやすく言えば、わたしたちの人生で最大の強度は、けっして芸術作品からかたちづくられているわけではないのです》

《アートというものは、突き詰めて考えると、ひとりひとりの人間がいまここに存在しているという驚きそのものなのです》

《畢竟、人生の至言などというものは、「人はみなひとりで生まれひとりで死んでいく」ことに尽きると言えます(だから個性ではなく孤生と書いたほうがよいのです)。わたしが、芸術は元来その人の生き死にと表裏だと言うのは、そうしたことにほかなりません。ピラミッドとかギリシア・ローマ彫刻といったものは、時に神話や権力のほうに傾きすぎていて、この孤生と呼ぶべきものを、科学とは異なる仕方ですが同様に打ち消してしまいます。芸術においてわたしたちが取り戻すべきなのは、そうした壮大で根拠のないフィクションではなく、石のようにかたく孤独な人の生の結晶と呼ぶべきものなのです。アートにおいてそれが壁画や油絵のような歴史的にまっとうな形式で現れる保証はなんらありません。広告ビラの裏側に走り書きされた、落書きめいたドローイングに突如として現れるかもしれないのです。
 だから、そのような孤生の現れとしていま、わたしの念頭に漠然とあるのは、誰もが参加することができるような、なにか流動的な生そのものであるような芸術です。それが日々、日常のものであり、かつ創作者と鑑賞者が交換可能であるような芸術です。文字どおり、それは万人のものです。実は西洋のアートに決定的に欠けているのは、この次元なのです》

*やはりなにかとても大胆な指摘をしている!


<門のあとで>

*そして、同書は、どこに降り立ったのか

冒頭――

《こうしていま、わたしたちは美術館の壁に掛けられるのが絵画で、床に置かれるのが彫刻といった古い美術の考えだけでなく、戦後のアメリカを中心にかたちづくられてきた、より新しいアートの流れとも異なる地平に降り立っています。そこでは、これまでも何度かにわたり繰り返してきたことですが、不動のかたちをなし、誰にとっても共有可能で客観的な評価の体をなすような、そんな意味での「作品」という考え方自体が成り立ちません。「作品」がないのですから、従来のような意味での「作家」も存在しません。少なくとも特権的な意味では成り立たないし、その必要もないのです。代わりにそこで重要な意味合いを持つのは、有限な生の輪郭を持ち、けっして不滅ではない個々の人間の経験です。そういう次元では、わたしたちはもう、物質としての永続性や、概念としての普遍を求めるアートの切迫に脅かされる必要はないのです。
 そのような地平について、いったいなんと呼べばいいのでしょうか。特に名前にこだわらなければならないわけではないのですが、それは言葉では名づけえぬものなのだ、として終えてしまうのもなんですから、最後にひとつの手引きをしておきます》

*そして語られるのは、岡本太郎、呪術ということ。

ちなみに岡本太郎は、呪術の典型として、あやとりを挙げていた。

岡本太郎は、記念館の作品をガラス越しに鑑賞させるという案に対し、怒り出したという「切られてなにが悪い! 切られたらオレがつないでやる。それでいいだろう。こどもが彫刻に乗りたいといったら乗せてやれ。それでモゲたらまたオレが付けてやる。だから触らせてやれ」(『岡本太郎太陽の塔」と最後の闘い』=PHP新書

岡本太郎縄文土器の価値転換をなした。1950年代。

それが特撮映画やテレビの仕事における、怪獣や宇宙人の造形にも転移した。成田亨。一連の怪獣デザインそのなかでも四次元怪獣〈ブルトン

《…近代彫刻と前衛陶芸とウルトラ怪獣がひとつの番組のなかで交差し、異なる領域を無差別に結びつけて横断しながら子どもたちに提供されなどということは、めったにあり得ないことです》

*最後にこんな突飛なことを提案する。

太陽の塔を生誕100年記念で爆破してみてはどうか。岡本太郎の骨をロケットに乗せて、太陽に打ち込んでみてはどうか。

*どちらもまさに最高品質のアートだと感じられる。


<あとがき>

ここで著者はChim↑Pomに言及している。「にんげんていいな」。この本の表紙は、それにちなんでいる。



横尾忠則によるレビュー http://book.asahi.com/review/TKY201008030148.html