東京永久観光

【2019 輪廻転生】

中国旅行中(2)

貴州省にミャオ族の人が多く住む村がある。すっかり観光化された目抜き通りを歩いていたら、豚を担いだ一団が路地を入っていくところに遭遇した。直前に博物館で豚を生け贄にする習俗があることを知ったところだったので、リアルかヴァーチャルかはかりかねつつ着いていった。

https://pic.twitter.com/v3evllSbLv

もっと早く気づくべきだったが、葬儀だった。広場で観光客に見せていたのと同じ衣装の女性たちと笙による似た旋律を奏でる男たちがやはり同じように舞っていた。その中心に亡くなった人がいた。

https://pic.twitter.com/ls8eJ2XAxd

死んだらどうなるのかと、このあいだから考えていたわけだが、死んだら周りがどうなるかは、私の場合もこの人の場合も予想をあまり裏切らないのだと思った。しかし私がこの人であったとしても、私が日本で死んだとしても、そのときどんな感じかは、同じようにまったくわからない。たぶん何も無い。

へんな観光客が俺を写真に撮っているぞということもたぶんわからない。もちろん生前なら「勝手なことをしやがって」と言いたいだろう。私もそう言いたい。しかしながら、代わりにもしどこかの通りすがりの観光客が死んだ私のこのような写真を勝手に撮っていったとしても許容することにしよう。

そのまま路地をずっと上っていく。いちばん高いところに建設中の公園があった。新しい奇妙な象が並んでいる。中国の観光地では醜悪なものをまるでうれしそうにどんどん造る(日本の観光地もそうかもしれない)。樹を切ってコンクリの切り株を置くなんてのは、まさにそれだ。

https://pic.twitter.com/qFWl2Na9kH

しかしふとまたさっきの博物館に、万物はたしか7つの卵から誕生したというミャオ族の神話があったのを思い出した。なるほど。観光客を集めるためなら神話も利用する。それはもちろん当たり前。ミャオの人も日本の人も神話を利用して生存し繁栄してきた。観光が神話を利用しなくてどうする!

そんなふうにして昨日(4日)は、死ぬことと、生まれることの、両方の謎に、出くわしたのだった。観光とはなんぞや。グローバリズムナショナリズムの間にもありうる、よくわからないが、とても奇妙で醜悪でとてもリアルな何かではあろう(『ゲンロン0』参照)

この日のメタ観光。私に負けず奇妙で醜悪でリアルな観光客。

https://pic.twitter.com/Fx6nfbBdHA