『生きる』をきっかけに『七人の侍』『天国と地獄』『椿三十郎』『用心棒』と次々に視聴してしまった。いつもこうなる。順序もだいたいこんな感じ。
『天国と地獄』がやはり最大に面白い。なんかいろいろ重大で、その重大さがとてもわかりやすいところは、ドストエフスキーっぽいとも思った。拘置所の面会室で主人公と犯人が言論的に対決するラストシーンとかも。シャッターがぱっと降りるのは映画っぽいが(あんなシャッターあるのか?)
邸宅のリビングという限られた空間で、大人数の家族と刑事たちが、次から次へと台詞を言いながら、便宜的に動き回ったりしているのは、まるで演劇の舞台だ。この映画を見るたびにそう思う。単調にならぬため苦心しているようでもある。
閉鎖空間の不自由さや息苦しさという点は、あの特急列車内のシーンにも、もちろん当てはまる。誘拐事件が変転していく最大の山場。あの撮影も相当念入りに計画されたことは、よく知られていると思う。
苦労がしのばれる点では、大勢の客でごった返す飲食店の中で、犯人が麻薬の受け渡しをする瞬間を、身をやつした複数の刑事たちが追っていく、あの長いシーン。人々が重なって動く様子に、目は釘付けになり息もつけない。どうやったらうまく撮影できるのか、できたのかという気持ちとともに。
映画鑑賞しながらこんな余計な心配をするのは、つい、学生などが低予算で映画を自主製作するような場合をシミュレーションしてしまうからだろう。しかし当然ながら黒澤明監督は、私が予想するよりはるかに大掛かりで周到な、セットやエキストラやお金を費やしているに決まっている。
なお、以下のサイトでは『天国と地獄』のロケ地探索をじつに執拗に行っているが、先に書いた場面の撮影などについても情報や考察が豊富で大いに参考になる。かくして浮かび上がってくるのは、結局のところ、黒澤監督の映画作りにかける度を越した執拗さなのだった。
https://ogikubo-toho.com/seititenjigo.html
もう1点。北野武は黒澤明監督(または大島渚監督)に「大事なシーンは引くべきだ」と教わったそうだが(下のリンク)、『天国と地獄』で解放された子どもに主人公が駆け寄っていくロングのシーンは、そのとてもよい例だろう。先のサイトは、そこのところも詳しく指摘している。
https://www.youtube.com/watch?v=_IfbDQ5mZTM