東京永久観光

【2019 輪廻転生】

耐えられないこともない、その存在の、軽さと重さ(改元を前に)

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2019/04/28/から続く

 

『存在の耐えられない軽さ』。映画では、窓の下に眺めたプラハの市街地をソ連などの共産軍の戦車がいきなり縦列進行してきたシーンが、印象に残っている。しかし小説では、今のところ何ら衝撃を伴った紹介はなく、淡い背景画のような、ただのかさぶたのような扱いに感じられるのが、予想外。

ミラン・クンデラは1929年生まれ。祖国はナチスに続きソ連の支配にも屈した。ただ小説は今のところ、もっぱら恋愛の物語。たしかにトマーシュとテレザはプラハの春が制圧された結果としてスイスに逃れるのだが、その歴史に直接向き合った考察の物語には見えない。でも、そう見えないだけだろう。

ミラン・クンデラが考察する、そして、トマーシュとテレザが体験する、あらゆる、高尚なそして下劣な、事象のひとつひとつに、祖国の歴史は完璧なほど影を落としているだろう。それはそうに決まっていると思う。

そして、クンデラという人にとって、生まれ育った国が、非常に特異な近代史を抱えた場所だったことを、少し羨ましくも思える。

とはいえ。さっき気がついたのだが:

2代目の人どころか3代目の人の即位まで、微温的な平和の感触のなかで、またもやのんきに目撃できている、この私の国も、なかなかどうして、けっこう特異な場所なのではないか。「耐えられないこともない、その存在の、軽さと重さ」

 

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2019/05/03/に続く