http://kametome.net/index.html
映画『カメラを止めるな!』、もう100万人観たそうなのでネタバレを気にせず書くが――
冒頭の場面がリピートされるとき、ゾンビ映画を撮影しているという設定のカメラ、それを生放送しているという設定のカメラ、そして映画『カメラを止めるな』を撮影しているカメラ、3つの視線が重なる。
それがなにより不思議な体験だった。
第3のカメラがエンディングで初めて少し姿を見せたとき、世界の構造がついに解明されたというか、幽体離脱してますというか、そんなおかしな感覚ですらあった。
ただし、この映画は冒頭で、私が見ているのはゾンビ映画の場面ではなく、ゾンビ映画を撮影している場面だということは、すぐに明らかになる。つまり、『カメラを止めるな!』は最初からメタ構造を必ず意識して見ていくことになる。なので最初の「はいカット」の声が、意外に、意外ではなかった。
この「はいカット」的な変転が、まったく予想外で純真に驚いた映画といえば、寺山修司の『田園に死す』、それと今思い出したが今村昌平の『人間蒸発』か。
だけど『カメラを止めるな!』は、「これ作品じゃなくて番組だから」とゆるく笑う業界の掟には絶対逆らえないディレクターの悲哀、しかしそれをやあっと乗り超えてしまう娘のバネのような躍動感、および妻のゾンビのような役者魂。この泣きと笑いは比類がない。自主制作の味わいとともに忘れ難い。
さて。
撮影されている映像には撮影しているカメラは入り込めるはずがない――このことが自覚されるとき、「世界には内部しかないんだ」といった気分になる。ところが…
そのカメラ自体に血しぶきが飛ぶという事故が起る。そのときは、いわば「世界の外部」が影をさす。さらに、その血しぶきを、カメラのレンズを、なんと誰かがぬぐう! そのときはもはや「神の指」を私は感じた。