東京永久観光

【2019 輪廻転生】

アユタヤに来るなら鉄道で


毎度思うことだが、旅先でしっかり本を読むには十分明るくて十分静かな場所が欲しい。ノートに文章も書くならぐらつかないテーブルも欲しい。今のタイなら冷房も効いているとありがたい。バンコクの図書館はまさにそのためにあるようなところだった。でもそんなうまい場所はなかなか見つからない。泊まっている宿の部屋では机や電灯が不十分だったりする。外の賑わいが絶たれて独房みたいで気が滅入ることもある。だから拘置所でひたすら読書したというホリエモン氏のニュースは興味深かった。200冊の差し入れもあったという。でも本は冊数が多ければいいわけではない。私は10冊あまりだが数日かけて厳選したものを持ってきた。そのために旅行前には本屋やブックオフの棚を延々眺めた。そして、この世で自分がどうしても読みたい本(小説)というのはあまりに少ないのではないかという実感を強くした。この世で自分がどうしても話したい人があまりに少ないという事実と似ているのかもしれない。

ここアユタヤでは、近くにあるそれなりに上等なホテルに行き、ロビーの丸テーブルにコーヒーを頼んで座った。そうしたら、すぐ脇にあるカウンターバーのような所で内装の修理が始まってしまい、のこぎりとかなづちの乱舞と競演。仕方なくレストランのほうにコーヒーカップとともに移動すると、工事の人もあとから着いてきて、こんどは床の修理が始まった。こういうときは笑うにかぎる。でもまもなく終わった。向こうも朝から変な客だと思ったことだろう。

マクドナルドやピザの店も良い。最高に明るく涼しくテーブルも大きくてきれい。コーヒーさえ飲んでいればあとは放っておいてくれる。マックのほうは椅子が硬いのでタオルを尻に敷いた。

 
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タイの交通はバスが主流で、そのせいか鉄道の駅は思いの外のんびりしている。アユタヤ駅でも、人々が列車を待つあいだも乗り込むときも、時間はただ緩やかに流れている。また、ホームの高さが線路とほとんど差がないのが面白い。だから地元の人も見学にきた私も、いつでも勝手に線路に降りたりホームを横切ったりできる。ディーゼルなので電線もない。とにかく開放的で土地の風景と切れ目がないような具合なのだ。

列車の到着シーン。それをどう撮影しているかは、映画の見所であり監督の腕の見せ所でもある、といったことをたしか蓮實重彦が書いていたのを思い出す。ホウシャオシェンの『恋々風塵』の冒頭なども思い出す。このアユタヤの駅でもきっとよいシーンが可能なんじゃないだろうか。ホームの反対側から列車が入ってくるのを見ると、車輪が目の前を動き、しかもその間からホームに立っている人の足元が覗く。

なお、アユタヤの中心街は四方を河に囲まれていて、鉄道駅はその少し外側にある。だからアユタヤに列車で到着した旅行者は、まず渡し船に乗って河を渡ることになる。この船とそこから眺める河や岸辺の飾り気のない風景がまた、鉄道駅と並んで心にしみる。アユタヤ出身の映画監督がいて自分の街を舞台に作品を作ることになって、いくらか自分の街を紹介するようなかんじの場面も撮影していくような場合なら、きっとこの渡し舟による移動のシーンは非常に大切なものとして扱うのではないか、などと考えた。

そのアユタヤをこれからまた列車で発つ。