死にたくないのは、あいがけスパイスカレーがまた食べたいから(だけじゃない)

セブンイレブンの「エリックサウス監修 あいがけスパイスカレー」というのをまた食べた。3度目だ。もう味はわかったが同じようにうまい。味はわかったが、だから次もまた食べたい。私たちはそうした楽しみがあるから、死にたくないのだろうか。

本や映画も何度見ても面白いものがあり、次もまた見たい。だが一方、新たに面白いものにも出会う。それどころか、本などを読むと「なるほど」と新たに分かることがある。素晴らしい。いくつになっても。というか若いときより分かることは多いのではないか。

あいがけカレーがもう食べられなくなるのも悲しいが、やっぱり、新しい本に出会ったり新しく分かることが、もうできなくなるのがいやだからこそ、死にたくないのだ

ちなみにハイデガーは<死とは不可能であることの可能性が実現されることだ>と言ったのに対し、サルトルは<いや、死とは可能性が不可能になることだ>と反論したそうだ。中山元『対話と論争で読む哲学史入門』に書いてあった。驚くほど分かる良い本だ。こういうのにもう出会えないというのも悲しいじゃないか。

筑摩選書の一冊。装丁もいい。

 

ところで、長谷川眞理子さんは、ハラリの『ホモ・デウス』を紹介し、今や不老不死を望む人が出てきたが、<私は良きところで命にけりをつけたい>とおっしゃる。そして、死にたくないというのは年寄りばかりだが、若い皆さんは永遠に生きたいですか? と問いかける。

『ホモ・デウス』を読んで長谷川眞理子氏が投げかけた問い - 長谷川眞理子 | 教養動画メディア『テンミニッツ・アカデミー』

一般に、死ぬことが現実のスケジュールとして見えてくる年寄りだからこそ死にたくなくなるのだと思う。若い人はむしろ「早く死にたい」などと言う。死なんてずっと先だと思っているから空想やロマンでしか語れないのだ。

 

トランプとかきっと不老不死を望んでいるに違いない。イーロン・マスクとかも実際に着々と準備しているんじゃなかろうか。プーチンはひょっとして華々しく死のうと思っている?(そういうのはハイデガーっぽいと私は思う)

一方で、フーコーは「自殺ほど美しく、これほど注意深い考察に値する行為はない…」的なことを語っていたようだ(上述書による)。日本には死の文化があると評価もしていたそうだ。

 

ついでに、最近「死ぬほど面白かった〜」いやまた見たいから「死にたくない〜」と思った映画(ドラマ)を1つ。

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2025/10/26/000000