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【2019 輪廻転生】

政治や文学は2次元? 空間は3次元?

政治的立場がX軸とY軸の座標で解説されることがよくある。左翼か右翼かがX軸、大きな政府か小さな政府かがY軸、など。

最近の例↓
https://cakes.mu/posts/22235

少し前には、文学的立場までがX軸(物語〜言語)とY軸(社会〜個人)の地図で示されていた(文藝2017秋号)↓
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000090.000012754.html

しかしふと思うのは、なぜ2次元どまりなのかだ。

じつは第3の軸が重要だということは大いにありうる。実際「左翼×大きな政府×独善的」か「左翼×大きな政府×懐疑的」の違いなどはあるだろう。さらに4次元、5次元で示したほうが正確な分類になる可能性は高い。

それでも、2次元どまりなのは、人間の主たる生活が平面的であり、地図も2次元で十分だからだろう。3次元の立体地図も登山には便利だろうが持ち運びが難しそうだ。まして4次元、5次元の座標や地図となると、私たちには描くことも見ることもできないと思われる。

だが、ここでまず疑問なのは、空間というものが、なぜ3次元までしかないと感じられるのかだ。「いや5次元や8次元の宇宙もあります」と言う人もいるようだが、それでも5次元や8次元の空間なんて描写も想像も不可能に思われる。でもそれは何故? 世界はじつは何らかの理由で根源的に3次元なのか?

さて、その疑問はさておき――

最初に示した政党や作家の特徴は2次元である必要はまったくない。空間でなければ私たちは4次元や5次元のものごとも把握できる。たとえば食物の味は、少なくとも「甘さ」「塩辛さ」「酸っぱさ」「苦さ」の4次元くらいは平気で感じ取り、うまいかまずいかを総合判断できる。

だから、たとえば高橋源一郎の小説が私はとても好きで、その理由はたしかにX軸の「言語が100」、Y軸の「社会が100」なのかもしれないが、ほかに隠れた軸がもっといくつもあるにちがいない。X軸とY軸だけのほうが印刷しやすいし閲覧もしやすいが、文学的価値が2次元に限られる理由はなかろう。

同じく、安部晋三はなるほど「父権制的」×「自己責任的」かもしれないが、私が安部晋三が「いやだ」と思う理由は、その2次元のみでは言い尽くせない。実際、父権制的かつ自己責任重視の政党や政治家は、ほかにも思い当たり、そっちは「いいね」と思うことは珍しくない。

どこかの店のランチが「うまいかまずいか」は、評価軸が5次元や8次元だとしても、瞬時に確実に感じ取れる。その店にかかっているBGMが「いいかわるいか」も、どれほど複雑な要素から成るとしても、判断を誤ることはない。

そういうわけで、安部晋三が「いやだ」という判断に、国民はゆるぎない自信を持ちましょう。(いや、こんな結論にするつもりはなかったのだが)