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【2019 輪廻転生】

★人工知能は人間を超えるか/松尾豊

 
 人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)


ある画像を見てそれが猫かどうか、私はすぐわかるが、コンピュータはなかなかわからない。そこを克服したのがグーグルの人工知能であり、それを可能にした手法がディープラーニングだという。ではディープラーニングとは何か。松尾豊『人工知能は人間を超えるか』を読み、初めてポイントがわかった!

脳の神経細胞がこのようにネットワークしているとしましょう、という発想をコンピュータに当てはめ情報処理させる手法を「機械学習」という。ニューラルネットワークまたはコネクショニズムと呼ばれてきたのと同じ。

ディープラーニング機械学習の改良型だが、従来型をはるかにしのぐパフォーマンスを示す。その秘密は「出力層を入力層と一致させる」「それで見出された隠れ層を、再び入力層および出力層にして、新たな隠れ層を見出す」「これを繰り返すことで隠れ層が抜群に研ぎ澄まされる!」ということのようだ。

それにしても手法の話に増して劇的に面白いのは: 私たちの知識というものが、たとえば「猫はこれこれこういうものだ」というごく単純な知識であれ、いかに成立するのかは実に謎めいているということを、こうした人工知能研究は、否応なく痛感させ、しかもその謎を解く仮説すら明瞭に示すこと!

そして松尾さんは、これまで人工知能と呼ばれてきたものには本当に人間のように考えるものは1つもなかったのだが、ディープラーニングこそは決定的なブレイクスルーであり、それによって初めてそれ(本当に人間のように考える人工知能)が可能になると、強く確信している。

そのディープラーニング以前と以後の分水嶺が何かというと、上に述べた、たとえば「猫とはどういうものか」つまり「猫の特徴」を把握できるのかどうかだ。言い換えれば、「猫という意味」が人間のようにわかるか、「猫という概念」を人間のようにもつか、だ。

「特徴」「意味」「概念」と用語をいくつも当てはめたが、ともあれ私たちはそれがわかる。つまり「猫」がわかる。でもコンピュータは「猫」がわからなかった。ところがディープラーニングはそれを可能にした。しつこく繰り返すが、核心はこの1点なのだ。

ディープラーニングの方式において、それ(特徴・意味・概念)を担うのは、研ぎ澄まされた最終形の隠れ層ということになる。(では脳はどうかというと、神経細胞のなんらかのネットワークがそれを担っていると考えるしかない。それがディープラーニングのようなネットワークかどうかはわからないが)

というわけで:

「将来の人工知能はマジに人間のように考えるのか」という問いがあり、その問いは素朴にして明白なのに、「まったく同じように考える」と思うのも、「ぜったい同じようには考えない」と思うのも、(少なくとも私は)どちらも、なんだか躊躇してしまい、答えが出せない状態だった。ところが、松尾さんの主張は、「従来の人工知能は(機械学習であれ、ワトソンであれ、どれ1つとして)人間とはまったく違う」であり、かつ、「ディープラーニングによる将来の人工知能は人間とまったく同じ」なのだから、ホントなら天変地異なみの一大事であり、そしてたぶんホントなのだろう。

なぜ天変地異級かというと、人工知能が本当に実現するからであり、しかも、人間の知能の原理を発見した可能性もあるからだ。


さて。「人間と同じように考える人工知能が実現する」と言われたときに、どうしてもつきまとう違和感があり、それをまとめれば、「じゃあ意識はどうなんだ」とか「人間は頭で考えるだけでなく体でも考えてると思うけど」とかいうものだろう。

意識について同書は白黒つけないが、それゆえ穏当だと感じる。よく言われるように、意識の正体がそもそも不明なので回答不能の問いなのだ。ただ私が思うに、たとえばセミには何らかの意識があるだろうが、人工知能は身体を持たないかぎり意識をもたないのではないか。なんとなくそう思う。

興味深いのは「本能」に関する松尾さんの見解。「快・不快」に代表される生物の本能は生存に役立つからこそ備わった、すなわち本能は進化がもたらした、と考えるのだ。

これらをまとめて私が思うに: 人工知能の研究は、脳の働きのうち知能という働きに絞って行われてきたから、身体や本能がそこにはないのは当然で、むしろ、それによって「知能」とは何かをとりあえずはっきり定義するという大きな貢献もしてきたのだろう。

そして、そこに進化という観点が関わっていることがまた面白い。私が考えるに、「知能」は必然的な操作や計算であり、それゆえ普遍の何かでありえる。一方、「本能」はそのつどの環境や身体や変異の偶然が長期間を費やして編み出したのであり、それゆえ普遍ではなく特殊な何かなのだろう。


あと同書でもう1つ印象深いのは: 空を飛ぶために鳥の羽ばたきを研究してきたけれど実際には鳥とはまったく異なる飛行機が作られたように、人間の知能を研究し人間のような知能を目指しているけれど、結局 人間とはまったく異なる人工知能が実現する可能性もあるという指摘。

だから、人工知能は、たとえば「猫」について私たちが抱く「特徴・意味・概念は踏まえつつも、私たちには思いもよらない「特徴・意味・概念」を発見する可能性は大いにある。まあ、もうそれに近いことを、いわゆるビッグデータなどは平気な顔をしてどんどんやっているのだろうが。


人工知能への関心は、私の場合、松尾さんの話をネットの動画で見たときに始まった。  
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20141122/p1

人工知能は人間を超えるか』のエッセンスも、すでにこのインタビューに詰まっている。