東京永久観光

【2019 輪廻転生】

人間解散、人間バンザイ =人工知能をめぐる冒険(1)=


人工知能を研究する松尾豊さんという人の話。

https://www.youtube.com/watch?v=U-O4eINZNXE(ビデオニュースドットコム)

知り合いに教えてもらって聴いた。たっぷり2時間あまり。とても明瞭で、このテーマの本質がよく盛り込まれていると思えた。

人工知能とはまさに人間と同じ知能をコンピュータで構成して実現したものを指すが、それがこれまで実現しなかったのは何故か。しかし今はそれがマジに実現しそうなのは何故か。これらがまず明瞭に説明される。しかもそこからは、そもそも人間の知能が何であり何でないのか、言い換えれば「言語とは何か・概念とは何か・意味とは何か・知識とは何か」を理解する道筋もまた明瞭になる。さらには、人間の知能を遥かに超えた人工知能が実現すると言われて漠然と感じる巨大な不安の正体が何なのかもまた明瞭になる。

ということで、この衝撃をじっくり反芻してたら今年は終わるだろう。だから年賀状はまた出せないし、衆議院も解散しなくてよかったけど、もはやそんなもの解散したからってまあどうってことないかという気持ちだ(バンザ〜イ)

 
=以下追記=

先日の松尾豊さんの動画では、人間の知能の核心を垣間見た一方で、知能以外の人間の特性については、人工知能はまったく模倣しようなどとしていないこともはっきりした。一言でいえば感情だ。言い換えれば、知能とは、人工知能とは、感情を除いた脳の働きだけの話なのだ。

もう1つ、知能の定義において、感情以上に完璧に除外されているのは、体だろう(動画では言及すらほぼされない)。体の運動も無関係だし体の感覚も無関係だ。そりゃそうだ、人工知能はつまるところコンピュータなのだから。知能に霊界が関係しないように、知能には感情も身体も関係しないのだ。

そうすることで知能(人工知能)の研究が確実に進むのだろうし、知能というものの驚嘆すべき尊敬すべき仕組みも見えてくる。しかし一方で、私は、この動画をみて、人間の感情と身体の驚嘆すべき尊敬すべきところが何なのかも、垣間見えてくる気がした。これがまた大きな収穫だった。

とはいえ、この動画のポイントは「人工知能がマジに人間の知能になるかも」なのであり、それゆえにこの動画は必見なのであり、それについてはまたいずれ。

いや本当に、人工知能の今後は、ボコ・ハラムの今後やイスラム国の今後なみに、どうしても目が離せない。

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松尾さんの考えでは、本能(感情や快不快など)は進化的に長期的に身についてくる習性なので、知能のようにアルゴリズムを見つけるという方向では探ったり実装したりはできにくいということらしいです。人工知能を無数に作り人工知能の社会も作って、進化に似た変化を経過させるしかない、的な。

いわば、知能は人工で作れても、本能は人工では作れない。いいかえれば、必然性だけで知能は洗練できるが、本能は偶然と時間が関与する。本能にはマスタープランがあったわけではなく環境との相互作用の結果でしかない。つまり、本能とは結果であり計画はそぐわない。人工知能は計画できるものか。

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<以下は別の友人への応答として>
それはやっぱりね、象みたいな知的な存在をつくることのほうが、はるかに尊い、はるかに神聖ですよね。現在の人間はそこは超えられないし、神をおそれる気持ちが消えることもない。精神とか実存とか、それが1番の重要事項。人工知能が2番に浮上したことがニュース。

知能だけに限っても人工的に実現するのがものすごく難しいので、たとえば恋愛感情とか道徳心とか痛いとか痒いとかは除外しないと、研究も進まないのでしょう。そのおかげで、知能とは何かが(あっけらかんと)見えてきた、ということが私はすごいと思うわけです。

だから、本能は、邪魔だけど、もちろんあるという立場だと思います。

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入力される言語(記号)を、ただ処理するのではなく、言語のいわば意味を、人間の脳と同じように「わかっている」という点が決定的な違いだと思います。

単純にいうと、言語の意味がわかる=言語がまとう概念がわかる、ということだと思います。人間はそれがわかっているという前提で。赤ちゃんは脳と体でそれを体験し習得しますが、人工知能はテキストを山のように入力されるなかで習得していく。その要領が初めて見えてきたと。

人間は言葉の意味がわかるのかわからないのかというのは、ウィトゲンシュタイン的でとても興味深いですが、ここでは、それは「わかっている」という前提でしょうね。わかっていると言わないと、従来の人工知能と、人間の知能の本質的違いの説明が始まらないように思います。


*続き → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20141212/p1