きみは豊原という地名を知っているか?
では栄浜は?
答は下の地図にある。
ここはサハリン。
州都ユジノ・サハリンスクはかつて豊原と呼ばれていた。
栄浜はそこから数十キロ北にある。現在はスタロドゥブスコエ。
そもそもサハリンってどこだっけ?
すぐわかる人は何割くらいだろう。
北方領土ではない。かといってカムチャツカ半島でもない。
(尖閣諸島と沖ノ鳥島ついでに南大東島
辺野古と奄美大島ついでに伊豆大島
そっちの区別も私はさほど自信がないのだが)
それでも
チェーホフがサハリン紀行をしたことなら
『1Q84』を読んだ国民はみな知っている。
では、宮沢賢治が
「永訣の朝」に出てくる妹トシの死を悼んで
樺太=サハリンに向かったことを
きみは知っているか?(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
大正12年。
花巻を出た宮沢賢治は
汽車と連絡船で北海道に渡り
稚内からまた連絡船でサハリンに入っている。
島内は鉄道が充実していた。
大泊(コルサコフ)という町で乗車。
豊原(ユジノ・サハリンスク)を経由し
終着駅の栄浜(スタロドゥブスコエ)で降りた。
地図をみると
スタロドゥブスコエの少し先に水色のところがある。
白鳥湖というそうだ。
宮沢賢治はこの湖にも足をのばした可能性があるらしい。
『銀河鉄道の夜』にある「白鳥の停車場」が
ここに由来するのではないかというのだ。
――そんなことが、地球の歩き方
「シベリア&シベリア鉄道とサハリン」に書いてあった。
そもそもこのサハリン旅行が
『銀河鉄道の夜』のモチーフとなったのかもしれないとも。
*
それにしても、なぜ『地球の歩き方』が今 手元にあるのか。
知り合いがサハリンに行ったのに触発されたからだ。
それはまだサンダルと短パンの季節だった。
…いや、今年はサンダル期が異様に長く
靴下やズボンはつい先日まで出番がなかったですね。
それに伴い、私のサハリン熱もひそかに長かった。
しかし北国の夏は短い。亜熱帯の東京とは違う。
宮沢賢治も7月31日に出発し
スタロドゥブスコエには8月3日に到着している。
やっぱりその頃が最適だろう。
来月やっと暇ができるので、それからでもと思うけれど
さすがにもう遅いか。
*
北に向かう旅と南に向かう旅では
様相はがらりと異なるのではあるまいか。
南国は楽園のイメージが濃い。
まぶしい太陽。熱気。明るく楽しい気分。
…実際はただ単純に毎日暑い。
私の知るところではタイ、ベトナム、カンボジア。
しかし、私は本当は
はるか遠い北の土地にあこがれているような気がする。
いつかその果てに行き着く自分を思い描く。
それがどこなのか、あまりはっきりしないままに。
北への旅に人は何を望むのだろう。
そもそも北とはどこにあるのか。
アラスカとかアイスランドとか
やっぱりそういったところだろうか。
だいぶ昔、モンゴルの草原に滞在したことがある。
どの方向を眺めようが、どこまで歩こうが遮るものはなかった。
「この先もう何もありません」
そんな看板が立っていそうであった。
その列車の旅はさらに北上しロシアに入った。
そこからはシベリア鉄道でモスクワまで。
これはひたすら西への移動だったが
そのときガイド本で
モスクワから思い切り北に行ったところに
ムルマンスクという町があるのを知った(知っただけだった)
映画『ときめきに死す』(森田芳光監督 1984)asin:B00005QYP3
沢田研二と樋口可奈子と杉浦直樹が
北海道の夏の海岸にたたずむシーンがある。
海水浴客もいるのだが、画面にまったく暑さはない。
そのときの会話が忘れられない。
沢田「涼しいですね」
杉浦「さすが、北ですね」
沢田「どうしてほかはこんな涼しくないんですかね」
杉浦「ほかって、南のほうですか」
沢田「この国ですよ。
どうしてみんなこう、涼しくないんですかね」
杉浦「縦に長いですからね、この国は。
なにしろ北も南、寒流もあれば暖流もある。
ま、そのおかげで、まぐろもふぐもにしんも
食べられるんでしょうが」
沢田「そうなんですか」
杉浦「しかしこういうところに
ずっといられたらいいでしょうね」
沢田「ずっと…」
北という漢字には背中という意味があったそうだ。
太陽に向かった時に背中がある方角。
陽の当たらない方、暗い方、寒い方…
それにしても
極北はなぜ「北」なのか。敗北もなぜ「北」なのか。
といっても、南がただ脳天気な方角というわけでもない。
ビクトル・エリセの映画タイトル『エル・スール』が
南を意味することはよく知られている。asin:B00005HARO
観光パンフレット的には、スペインは南こそ
「情熱の都 アルハンブラにイスラムの残照」だろう。
しかし、この映画の南は
スペイン内戦を背景にかなり複雑な位置にあり
しかも娘にとっては父の過去を隠した未知の土地だった。
もうひとつ。
リチャード・パワーズの小説『ガラテイア2.2』には
次の一行が繰り返し現れる。asin:4622048183
「南に向かう列車を思い描いてほしい」
ただ、この列車は主人公の内省や記憶の中を走っている。
南はむしろ言語という大陸のどこかにある。
南米やオーストラリアでは南に向えば寒くなる。
椎名誠のパタゴニア。asin:4087481638
私がタスマニアに行った時も
ちょっと「最果ての南」の感はあった。
話が拡散するばかりになった。
*
銀河鉄道に乗ったカンパネルラとジョバンニは
いったいどこに向かったのだっけ?
北とは、つまるところ
未知へのあこがれ、たどりつくべき懐かしさ
その両方をまとった場所なのか。
ベンダースの映画『パリ、テキサス』で asin:B000G1R3RQ
主人公がさまよう発端は
テキサス州の原野に「パリ」と名のついた場所があったことだった。
彼は、父母と自分の、そして自分と息子の絆を
その場所に、そして、その場所に向かうこと自体に見出そうとした。
サハリンの地図に
ユジノ・サハリンスクとかスタロドゥブスコエとかいうところがある。
そこはかつて豊原や栄浜と呼ばれた町だった。
――この事実は得もいわれぬ懐かしさやとまどいを誘う。
トラヴィスにとっての「テキサスのパリ」に
それは少し似ているのだ。
*
ただし、もうひとつ非常に大事な事実がある。
この北や南は、頭の中にある幻というわけではない。
この世界やこの日本において
物理的な方向や距離として実在する。
Google Mapはあまりにも万能なバーチャル空間だが
同時に、そこに実在が示されていることを忘れてはならない。
地図とはそういうものだ。
地球の歩き方では
宮沢賢治のサハリン往復ルートも小さな地図になっているが
非常に雄弁だ。
(もしや地図こそが言語とは異なる何かなのではないか!)
旅を欠いては生きることにならない、と言ってもいい。
バスに乗ることであれ、町を歩きまわることであれ
目や耳や手足を使ってしか得られないことがある。
世界はそのように実在している。
21世紀になった今もなお、私はそう思う。
ユジノ・サハリンスクもムルマンスクもパタゴニアもテキサスも
どこにだって私たちは本当に出かけていくことができるのだ!