★戦場のメリークリスマス/大島渚(1983年)
公開当時にみて以来か。80年代のイメージを決定づけた一作。
たけしの存在が喚起するものは記憶に増して大きかった。ラストのあの破顔一笑。約30年前の五感がまるごと蘇る。
そしてなによりこの映画は音楽こそが素晴らしいと、素直にそう言うしかない。私の人生におけるインパクトは いわば「君が代」を超える。
ただ、映画自体の出来はよくわからない。だいたい1943年の日本軍の大尉があんな顔で化粧もしていることへの違和感がぬぐえない。たとえば三上寛をヨノイ役にしてそれでもセリアズ(デヴィッド・ボウイー)に惹かれるとしたほうが、リアルにして強烈だったのではないか。
★白昼の通り魔/大島渚(1966年)
白黒の画質と凝ったアングルが話全体のイメージに大きく貢献していると思われる。終盤、列車の席に向かい合って座ったヒロイン2人(小山明子と川口小夜)の対話が、互いの多様なクロースアップを執拗に繰り返すことで展開するのも、あからさま。さて、小山明子は無償の愛や道徳を信じる偽善者であり、それに対し佐藤慶はニーチェ的な人間である、と受けとめてよいのか。それに関連するが、佐藤慶が根はわりと善人という雰囲気もあったのだが、演出上それでよかったのか。大島渚が小山明子をいろいろ撮った映画、という感もあった。
★みつばちのささやき/ビクトル・エリセ(1973年)
★エル・スール/ビクトル・エリセ(1982年)
家にDVDボックスがあるので久々に鑑賞。素晴らしいとしか言いようがない。そう古い作品ではないが、骨董品の趣。眺めているだけでよい。それにひきかえ、ネットやテレビをぼんやり眺めてばかりの日々は、本当に時間の無駄だ。良いものはある。良いものをみよう。TSUTAYAに行ってDVDのジャケットをぼんやり眺めて時間が過ぎるのはもっと無駄かもしれない。
2作が非常に似ていることも再認識。スペインの北で南の女性を思い手紙を書く父。スペインの南(?)で北(?)の男性を思い手紙を書く母。広々とした草の大地が出てくるところもそっくりだ。列車はエル・スールでは映らないが到着と発車の音だけが挿入される。このときアウグスティンは(おそらく南に帰ろうとして)乗るはずだった列車に乗りそびれる。
両作とも、本当に少しのエピソードだけを、しかし、本当にエッセンシャルなエピソードだけを、丁寧に描いているのだ、と思う。そして、どちらもそれらを映像として(光景と人物の配置や陰影や動きとして)描いている=当たり前のことだがそれが素晴らしいのだ。そして、その光景と人物の陰影や配置や動きを、どう選び抜いているのかが、監督のセンスと力なのだろう。映画をみている、という感じがするのだ。
ところで、エル・スールの父アウグスチンは自殺するが、過去の恋人が忘れられないことが最大の理由だったのか、それにかぎらず内戦がもたらした多様な苦悩があったのか。
★推手/アン・リー(1991年)
★ウェディング・バンケット/アン・リー(1993年)
★恋人たちの食卓/アン・リー(1995年)
この監督の映画は初鑑賞。デビュー以降のこの3作は父三部作と呼ばれるらしい。『恋人たちの食卓』が最も良かった。最初の2作がアメリカでの撮影なのに対し、台湾で撮影されていて親しみや落ち着きを感じさせたからか。あるいは、早くも(?)円熟の味に達している感があったからか。円山大飯店でなにか食べたい。
アン・リーは台湾出身でアメリカ在住。たとえば日本出身でアメリカ在住の愛すべき映画監督がいるのかというと、私は思いつかない。台湾出身で日本在住の映画監督というのも存在すらしないのではないか。映画における日本の国際性の無さに思い当たるべきなのか。
★マッチ工場の少女/アキ・カウリスマキ(1990年)
冒頭、昔からよくある「何を作っているんでしょーか!」のクイズ映像そのままで、しみじみとおかしい。その後も、静止画のようでしかも完全に無言の場面がいつまで?と思うほど連続する。
そしてムード歌謡が記憶に増してよく使われている。記憶に増して、おかしい以上に哀しい。
この映画を大昔(97年)下高井戸シネマで初めて見たとき、たしか眠ってしまった。今回もほんの1時間ちょっとなのに、ついうとうと。
ダイニングや寝室の簡素で切ないようにしょぼくれた落ち着きと絶妙な色合いも、この初期の映画から完成の域にあったのだと気づく。外のカフェや食料品店のたたずまいも同じ。
そして近作の『ル・アーヴルの靴みがき』でも目にとまったこの色が、すでにあった。納戸色(#00687C)? →http://www.color-sample.com/colors/179/ この色はもともと好きだ。
カウリスマキ映画とジャームッシュ映画で音楽を入れ替えたら全体の印象も完全に入れ替わるのか?
★コントラクト・キラー/アキ・カウリスマキ(1990年)
マッチ工場の少女と同じく久しぶりに鑑賞したのだが、同じく確信したのは「まるきりコントみたい」ということだった。セットに板付きになって役の通りに動きをみせているかんじ。「はいスタート」「はいカット」の声が聞こえてくるような。
★罪と罰/アキ・カウリスマキ(1983年)
長編デビュー作。初めて。
★こうのとり、たちずさんで/テオ・アンゲロプロス(1991年)
→http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20141017/p1
★ジャンゴ 繋がれざる者/クエンティン・タランティーノ(2012年)
スパイク・リーはこの映画を批判しているという(Wikipediaによる) たしかに奴隷制度の歴史を娯楽のためだけに用いて気が咎めないかなという疑問は残る。
★ニーチェの馬/タル・ベーラ(2011年)
荒涼とした風景と画質に目を奪われた。街に向って消えたはずの二人が同じ遠景のなかに戻ってくるのが「永劫回帰」ということか。それ以外はあまり感想を抱けなかった。
★ニシノユキヒコの恋と冒険/井口奈己(2014年)
→http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20140919/p1
★そして父になる/是枝裕和(2013年)
子供の取り違えが発覚したりすれば「そりゃ当然こうなるしかないな」という非情な展開のひとつひとつが強い現実感を伴って連続し、もはや目と心に焼き付いてしまったせいだろう、もう1回再生しようという気が失せてしまった。
★アウトレイジ・ビヨンド/北野武(2012年)
★ソナチネ/北野武(1993年)
たまたま続けてみた。『アウトレイジ・ビヨンド』はエンターテイメントを極めたというところだろうが、だからなおさら『ソナチネ』の私的さ静謐さがあまりにも際立つ。「世界の北野」の本領はどちらなのか。もちろん私にとっての北野武は『ソナチネ』だ。
『ソナチネ』はシナリオを読んだのがきっかけで見ることになった。→http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20140830/p1
★小さいおうち/山田洋次(2014年)
松たか子が初めて良いと思った。
★あなたへ/高倉健主演(2012年)
名優が多く出てくるが、童謡を歌う田中裕子が最もよかった。宮沢賢治の作詞作曲なのだという。
★ローズマリーの赤ちゃん/ロマン・ポランスキー(1968年)
怖いというより現実がねじ曲がっていくような妙な感覚。デヴィッド・リンチっぽいというか。
★ニューヨーク・ラブストーリー/ハル・ハートリー(1989年)
主人公の男にあれほど複雑な背景をもたせず、さらっとしたストーリーだけを描いたほうが、この映画のトーンには合っていたのではないか。
★紅の豚/宮崎駿(1992年)
『風立ちぬ』の原点の1つだろう。宮崎駿がプロペラの飛行機に惹かれるのは、その姿とその動きにこそアニメーションの神髄があるということなのだろうか。
ところで、宮崎駿は『風立ちぬ』をめぐる発言のなかで、戦争をどう描くかという観点から映画『永遠の0』を非難していたと思うが、同じ観点から高畑勲は『風立ちぬ』を非難していることを知った。そりゃそうだということになるか。
★永遠の0(2013年)
→http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20140919/p1
★君の名は/大庭秀雄(1953年)
空襲のころの日本が懐かしいわけではもちろんない。空襲の話を父母や祖父母から聞いていた子供のころが懐かしいのだろう。
★ファイトクラブ
シックスセンスに代表される「ええっ、そうだったのか!」ないしは「なるほど、そうくるわけね…」という落ち。初鑑賞。
★ユージュアル・サスペクツ
毎度のことながらみごと!
★ペット・セメタリー
まあまあだった。小説を読むともっとぞくぞくするのか。
★恋恋風塵/侯孝賢(1987年)=劇場鑑賞=
渋谷の映画館にて鑑賞。何度目だろうか。劇中 映画が上映される場面がしばしば出てくる。それもこの映画の愛すべき、忘れがたき特徴だろう。郷里の広場ではスクリーンが野外の風にたわむ。そういえば、最近の映画は撮影だけでなく上映もほとんどフィルム媒体ではないらしい。この映画館も当然そうだ。すべては移りゆく。その懐かしさはどれだけ懐かしんでも追いつけず深まるばかり。
↑映画DVD鑑賞記録 2013年 (2) http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20131229/p1
↓映画Disk鑑賞記録 2014年 (2) http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20141229/p1