東京永久観光

【2019 輪廻転生】

長いようで短い


このあいだ、といっても私の場合それが数か月も前だったりするので自分で驚いてしまい、ブログの日付もそんなふうにしてポンと飛ぶことになるのだなと納得するわけだが、ともあれ、このあいだ「代謝」という言葉を使った。

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20140116/p1「生態系ばかりが驚異ではないよね」

子供ではないのだから言葉の意味を使った後から調べるのもどうかと思うが、代謝とは、体内の物質を使ってエネルギーを取り出す「異化」と、エネルギーを使って体内の物質を作り出す「同化」の2つの反応を指すのだと、後から知った。しかも、異化は高分子を低分子に分解すればいいので滑り台を降りるみたいに楽々だが、同化は低分子から高分子を合成せねばならないので階段を登るみたいに大変だということもわかった。

こんなふうに、茫洋かつ複雑だったものごとの全体が、たった2つのしかも対称的な概念によってきれいに整理できる。心地良い。おまけに、「分解」は「すればいい」と書いたのに対し「合成」は「せねばならない」と書いた。宇宙の原理を示す波に自分が乗れたような気持ちだ。

科学とはたぶんそのようなことをしている。哲学もわりとそのようなことをしている。そう感じられる。

では文学や美術はどうか。正反対の混沌とした広がりがそこにあるように見えて、実のところ、世界全体を綴ってみたい描いてみたい、言い換えれば世界全体の謎を解き明かしたい、という熱意や動機こそが、その本当の創作や本当の鑑賞を支えているのではないか。

高橋源一郎の『小説教室』(岩波文庫)を久しぶりに読んでいて、そんなことを思った。

以下は、同書が引用しているものの一部。


「きみはまさか、ガチョウを焼くのと、本を書くのとは、同じことだというんじゃないだろうね? どうかあまり悪くとらないでくれたまえ、ニーテンフュールくん。だが、ぼくはいそいでちょっと笑わずにはいられないんだ。」
 彼は、わたしが笑いおわるまで、待ちます。もちろんそれはそう長くはかかりません。そこで彼はいいます。「先生の南洋だとか、人食い人種だとか、サンゴ礁だとかいうのは、つまり先生のガチョウです。そして、小説はつまり、先生が太平洋やペータージーリエやトラを焼こうとなさるフライパンですよ。そういうやっかい物を焼く方法をまだごぞんじないとすると、えらいにおいになりかねませんよ。ノイゲバウアーさんとこの女中さんのばあいとまったく同じように。」(エーリッヒ・ケストナー『エーミールと探偵たち』より)


「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」(宮沢賢治銀河鉄道の夜』より)


世界の謎を解き明かすのに人生は短いだろうか。短いかもしれない。だからといって急いでもうまくいかない。とりあえず、ゆっくり読み、ゆっくり見て、ゆっくりわかるしかないのだろう。そうしてまれには銀河を超えていくほどの境地がもたらされないとはかぎらない。


小説教室/高橋源一郎
  一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))