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【2019 輪廻転生】

私の歴史は最近始まった


古事記太安万侶が書き記すころまで、日本列島には文字による記録というものが一切なかった。そう思うと凄いことだと感じる。過去がどうだったかを想起するのに、すべて頭の中にあるものを思い出すしかなかったのだ。

国の歴史はたしかにそのあたりから記述が始まったわけだが、さて、あなたの歴史はどうだろう?

多くの個人が自らの歴史つまり日常の出来事や思いをきちんと文字で記録するようになったのはいつからだろう。奈良や平安? 室町? 江戸? それとも言文一致の明治? 私はそうではないと思う。(あまり指摘されないので、やかましく言ってばかりいるが)

つい最近まで、凡人は自身の記録をいちいち文字になどしなかった。たとえば15年くらい前、そんなことをするのは日記を真面目に書いている人くらいだったはずだ。それは1クラス40人中、何人いただろう。今はそうではない。全員ではないにしろ、かなりの多くの人が自らの生活を文字にして記録している。

みんなごく最近になって、太安万侶みたいなことを始めたのだ!

稗田阿礼という人もいた。WIkipediaによれば「年は 28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない」とある。

まあ今の私たちも、目に触れたものはこうして即座に言葉にすることができる。だがその代わり、それらを心に留めておくことはなく、ことごとく忘れてしまうようだ。

出来事を思い出すというとき、それが文字で記録されているかぎり、言語の宿命として一言ずつ順にたどるしかない。では、脳にある記憶自体はどうなのだろう。まだまったく明らかとは言えないのだろうが、文字をたどっていくほど時間がかかるようには思えない。何かを一気に思い出す。

夢を見るのもまた、本を1行ずつ読んでいくのとは違い、映画を2時間かけて視聴するのとも違い、なにかを一挙に眺めている可能性がある。

では、文字による記録以外に、それを一挙に眺めることができるような外部記録の方法はありえないのだろうか? 

たとえば、1週間ほどの旅行を記録するのに、日記をつけるのと、写真を撮るのとで、どちらが詳しい記録になるのだろう。そしてまた、たとえば1年後にそれを思い起こすとき、日記を読むのと写真を見るのとで、思い出す時間や脳の負担という点でどちらが有利なのだろうか。

それにしても、(さっきとは別の意味あいだが)人類には言語があるおかげで、なにかと記録ばかりしているとも言える。仕事ではなにかと文書ばかりが行き交う。人間は言語のおかげで極めて複雑な内容を伝達したり思考したり操作したりできる。「仕事が増える」とも言う。

これほど複雑かつ膨大なことを、文字の助けがあるおかげで、外部に記録しておくことができるのだ。

しかし、それは脳の記録(記憶)とは違うので、思い出す方式もまた、脳がなにかを思い出すのと同じようにスムーズにはいかない。

とはいえ、仕事で文書ばかり作ったり読んだりしなければならなくなったのと同時に、私たちは、たとえば小説という、外部のみに記録されたおそろしく長大な出来事の文字列を、楽しもうと思えば楽しんで読み進めていくこともできるようになった。

自然な人間、というのがいつの時期の人間を指すのかは微妙なところだが、たとえば古事記より昔に生きていた人びとが自然なのだとしたら、文書を交わして仕事する私たちはいかにも不自然であり、かつまた、小説などというものを読む私たちもいかにも不自然だ。

どちらも(仕事の文書を書いたり読んだりも、小説を読んだり書いたりも)、太古における人間の自然な脳のはたらきからは、かなり異質なことをしていると言えるだろう。

仕事にのめりこんでおかしくなったり、小説にのめりこんでおかしくなったり。そんな人がいても、それは異常なことをしているのだから、致し方ないということになる。

しかしながら、ここまでの話をひっくり返すような考えを述べるが、「言語は脳と親和性が高いのだ」とみることもできるだろう。つまり、言語の仕組みは、脳がものごとを認知する仕組みと似ている可能性も大いにあるということ。

…という正反対の前提で改めて考えると、人間が脳の記憶や認知などのはたらきを外部化しようとするなかで、言語と文字が生まれそれらが運用されてきた。その大きな流れの大きな改良として、昨今のブログやツイッターなどを位置づけることもできるかもしれない。

そうしてさらに思うのは、ブログなどは日記や書物の言語使用にいくらか近かったのに比べ、ツイッターはおしゃべり(もしくはひとりごと)のほうに近い。といっても、ツイッターは文字化されまた記録(ログ)として確実に残り、のちに読み返すことも容易という点が、おしゃべりとはまったく異なる。

というわけで、脳が自らの記憶を外部化し、しかもそれをどうにかして柔軟な形式に作り変えようとしてきた結果、我々は図らずもツイッターのようなところにたどりついた、と見てもいいかもしれない。


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頭痛のことをちょっと調べている。日常的な頭痛の大半をしめるのは緊張型頭痛と片頭痛だが、私が年に2、3回起こるのはどうも片頭痛ではないかと思う。片頭痛は実は一般の鎮痛薬はあまり効かない。ところがトリプタンという特効薬が日本でもここ10年で普及したという。知らなかった。


★そういえば、一昨夜、DVDで『シャッター・アイランド』というのを見ていたら、ディカプリオが頭が痛いというのを「migraine」(偏頭痛)と言っていた。それはどうでもいいが、この映画もまた、もう一度見たくなる映画の好例だ。マーチン・スコセッシ監督。社会的な要素はあまりない。