東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ルートは1本しかない


文章は絵画のように出来事を一望できるような媒介ではないと昨日書いた。しかし、文章は、すべてを重複も漏れもなく読める、しかもそのルートは1本だけで迷うことがない、ということ自体は、ものすごくすばらしいことではないかと、気づく。

なぜそんなことができるのか。そもそも文章がひと続きで書かれれているということはある。しかしただ並んでいるだけではなく、そのようにたどるだけの甲斐があるからだ。それはつまり単語には内容があり、単語の連なりにも内容があり、連なりの連なりにも内容がある。内容といわず意味と言ってもいい。

小説などは特に、ストーリーという基本的には一本かつ不可逆の流れがある。だからこそ読み進められるのではないか。