東京永久観光

【2019 輪廻転生】

twitter to hatena 転送プログラム実装(私の身体に)


昔は、たとえば同じ山や川を眺めている人たち同士が親近感をもって生活していたのだろう。今はどうかというと、はてなブックマークなどで同じエントリーを読んでいる人同士が親近感をもって生活している。少なくとも私はそうだ。というか、今なお私たちに「親近感」や「生活」があるとするならば。

もう少し言うなら、稲の実りぐあいとか、近所の葬式や婚礼とか、そういった出来事や体験を共有し、話題にし、心の支えにしながら、コミュニティーは成立していたのだろう。しかし、少なくともこのつぶやきの里は、まったく違うものが核になっているということだ。

核になっているものの違いとは、かつてが「自然生活」だったのだとすれば、今は「言語生活」だ。天気や田畑の様子や人の姿や声に、我々はもうあまり喜んだり悲しんだりしない。ただただパソコンで読む文字に霊感を得たり右往左往したりする毎日。

これほど言葉にどっぷり浸かった生活は、私自身としても空前だと思う。

というか、世界を編んでいるのは言葉であるのは同じなのだが、といっても、かつては言語は自然や身体体験のほうを中心に編んでいたのだとすれば、今は言語が言語や言語体験ばかりを編んでいる。

このことはあまり指摘されないように思うのだが、じつに決定的な変化ではないか! 

それはもう恐竜が空を飛んだとか、キリンの首が伸びたとか、サルが樹木から降りたとか、そんなことを遥かに超えている。 …あえて言えば、サルが木から落ちたようなもの。