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【2019 輪廻転生】

言語のゆくえ2010 (5) 〜さらに音楽へ〜


◆遺伝子/脳

古くからの生物は、身体を遺伝子が設計するだけでなく、活動もまた遺伝子が決定づける。しかし、そこから進化した動物の多くは、遺伝子だけでなく脳の指示にも従って活動する。自身の運動と感覚は周囲の環境や他の個体といかに相互作用するのか、脳はその経験を情報化して蓄積し分析し、将来のライフハックに大いに役立てる。

そのとき、脳(ニューロンのネットワーク)は、あるがままのこの世界を、なんらかの記号を用いた情報データとして写し取っているはずだ。手足や眼球は外界そのものと直に触れあうのだとしても、脳はすべてを独自の表象に置き換える。そうして初めてこの世界は、たとえば土地や青空があり食糧があり天敵があり快楽や苦痛があるものとして浮上する。素晴らしいではないか。まれには自分というものまで感じられる。

これはおそらく、多くの他の動物も平気で行っている。


◆脳〜言語

ところが、人間が真に革命的なのは、脳が写し取った表象を、さらに言語という表象に置き換え、外部に取り出してしまったことだ!

では、脳が世界を表象する形式と、言語が脳を表象する形式とは、はたして一致しているのだろうか? この両者が一致していると直感してきた人がチョムスキーなのかもしれない。

(ちなみに、脳が世界を表象する形式はそもそも世界が存在している形式と同一なのか。それははなはだ疑わしい。いや、そもそも世界がいかなる形式で存在しているかなんて、誰も知らない…)

この大きな問いは保留にして、話は少し変わる。


◆(脳〜意識〜言語)/遺伝子

脳の世界が言語の世界に写し取られるとき、意識が介在する。言い換えれば、脳の情報処理を内部から一部観測しているものが意識だろう。脳の活動すべてが意識にのぼるわけではないが、少なくとも言語をちゃんと使うことは意識下でしかできない。脳の表象と言語の表象は意識という表象によって連結されている、とも言えそうだ。

最初に述べたとおり、多くの動物は遺伝子による情報と脳による情報の両方を使って活動するのだが、この意識という観点からみると両者は対照的だ。つまり、脳の動向は意識に上るのに対し、遺伝子の動向はそうではない。

また、遺伝子がもつ情報は固定的で確実に指令を作り出すが、脳の情報や指令はあいまいだ。でもそれゆえに脳は環境の変化に応じて情報を修正したり指令を柔軟にしたりできる。どちらもそのほうが生物に好都合なのだろう。というか、自分の遺伝子をそのつど意図的に修正できたりしたら、大変なことだ。

このほか、そもそも、遺伝子はコピーされて受け継がれるのに対し、脳がためこんだ情報は一代限りであることも決定的な違いだ。また、脳は情報の媒体として遺伝子のようにDNAを採用したわけではない。記号の仕組みもまた塩基4種の配列といったものではないだろう。

…だからなんだ? 問いは不明だが、ともあれ今は、遺伝子、脳、言語、意識といったものの位置づけが少しでも整理できればよい。


◆脳/言語

さて、「脳が世界を写し取る形式と、言語が脳を写し取る形式は、一致しているのか」という問いに戻る。

実感としてどうだろう。私たちは意識にのぼったことを十分に自覚したり正確に伝達したりしようとするとき、何よりそれを言語に置き換えてみるのではないか。しかも、努力すればするほど言語と意識は少しずつ歩み寄る。ほぼ忠実に再現できたと納得することもある。それはなぜか。やはり言語の表象形式が脳の表象形式と非常に似ているおかげなのか? それとも、言語は表象形式として非常に優れているおかげで、言い換えればなんらか普遍性をもつ表象形式であるおかげで、脳だろうが何だろうがいかなる表象でも自らの表象に変換できてしまう、ということなのか?

上は「言語の表象形式とは」という問いだが、同時に「脳の表象形式とは」という問いも重要だ。言語は手にとって読むことができ輪郭も明確なので、形式を見極めるのはまだしも容易だろうが、脳の中のことはいろいろ難しそうだ。


◆脳〜(言語/音楽)

それでも想像してみる。

脳が世界を写し取る表象形式。それはたしかに言語のようであるのかもしれない。しかしまた、絵画のようであってもいいのではないか。はたまた音楽のようであってもいいのではないか。

おそらく人間以外の動物も世界を脳によって写し取っている。しかし、その脳世界をさらに言語世界として結実させてはいない。それでも、あるいは、だからこそ、他の動物たちの脳世界は、言語のようであるのか、音楽のようであるのか、なおさら不明だとは言えないだろうか。あるいは、もしも動物たちが自らの脳世界を、たとえば鳴き声や羽音で組み立てる表象形式にこっそり置き換えていたりしたら、とても面白い。

さらにメルヘンチックな空想。かつて私たちの祖先も、脳はこの世界を音楽に似た表象形式によって写し取っていた。私たちの脳にもその名残がある。それが「懐かしくて」、私たちは、音楽を奏でたり聴いたりするのだ!

 
 *


話は終わっていない。とりあえず本日のまとめ―。

脳とは何か。世界を独自に写し取った表象システムだ。それは遺伝子と並ぶほどそして遺伝子を補完するほど重大な生物制御プログラムとして働いている。しかし同時に驚愕すべきことに、人間はその脳という表象システムから、なんと、言語というさらなる表象システムを外部に作り出してしまった。

脳の出現も言語の出現も、生物にとって大事件。いや、もはや進化の概念の転換といっていい。こうしたことを踏まえると、音楽はいったいどんな位置づけになるのか。脳、言語、音楽それぞれの因果はどうなっているのか(糖尿病、腎臓病、心臓病の因果みたいにややこしい)。やっとこれから考えようと思ったが、疲れた。