東京永久観光

【2019 輪廻転生】

言語は万能なのか


http://twitter.com/#!/golgo139/status/26924062632
《犬の文法にはif文がないんですよ.それだけのバッファがないから.》


――これを受けて考えたこと(以下)。

犬の文法にifがないのだとしても、それはひとえに「バッファがないせい」だろうか? バッファが十分なら、必ずif文のある言語が出来てしまうのか? 実際「if文」をもたない言語なんて世界のどこにも存在しないのか? 

そしてまた本当にわからないのは、私たちがもつような言語をもたなければ、人類であれ犬類であれ、たとえば「ifという思考」などをもつことは本当に絶対に不可能なのかということ。


――以下整理されていないが、とりあえず頭に浮かんだとおりのことを書き留めておく。

犬は少し考えるけど「if〜」と考えることはできない、としよう。「バカだな、おまえ」というかんじだが。では人間の言語は、およそ考えることができることは、すべて考えられる道具なのだろうか?

犬はこの世に「if文」というものがあるなんて夢にも思わないだろう。だが人もまた「○○文」があるなんて夢にも思わないという、そんな「○○文」がどこかに潜んでいるということはないか。そんなものは絶対ないと言い切れるか? ――すなわち、人間の言語は万能か?

たとえば(ちょっと角度は変わるが)―― 「光の速度で動くものは質量が無限大になり時間が停止する」というのは、ほんとうは言語では正確に言い表せない出来事があって、仕方なくこの程度の言い方でごまかしている、ということはあるのではないか。

それは言語の限界ではなく、私の理科の成績の限界?

物理学においては、相対性理論とならんで量子力学もまた似たような困難に直面しているというべきだろう。シュレディンガー方程式で記述される出来事を私が理解できないのは、理科の成績が悪いからという理由のほかに、そうした出来事を人間はそもそもイメージできないからだと私はずっと思ってきたが、さらに、そうした出来事が言語の形式になじまないからではないかという仮説を重視すべきではないか。

ゲーデル不完全性定理というのも、数の世界で起こっている出来事を、論理(言語)はすべて正確に現すことはできない、ということを意味しているのかもしれない。

数の世界には記号の世界よりもひとつ深い広がりがあるために、数の世界の出来事をすべて論理の言葉で表現できない、といった趣旨のことを、内井惣七が書いていた。それがゲーデル不完全性定理のことを指している。「言語が万能でない」ということの意味は、それくらいの乖離がある場合だと思う。あなたを愛する気持ちが言葉にできないとか、この曲の良さは言葉ではいえないとか、そういうこととは違って「絶対的に言葉では表現できない」世界というものも、本当にあるのではないか。◎推理と論理―シャーロック・ホームズルイス・キャロル asin:4623039781

補足:ゲーデル不完全性定理は記号の世界には写せない、ということは、すなわち言語にも写せないということと同一なのかもしれないが(そこは私はよくわからない)


――こうしたことを考える一方で、それでもやっぱり私たちの自然言語は、あらゆる記号を(数式でも絵画でも音楽でも)、少なくとも相当程度には訳せてしまうようにもみえる。それはいったい何故だろう。やっぱり、言語は万能ということではないのか!

人間が使える言語や数式や絵画や音楽などいずれの記号によっても捉えられない出来事というのは、原理的に(認識論的にというか)存在しない、という答えにもなりそうだ。視覚をもたない人が色を認識できないとき色は存在するのかどうか、みたいな…


――さらに話の角度は変わって:

言葉では言えるけど絵には描けないものってあるのか? だれかが「ライオンのいない部屋」は言葉にはできるけど絵には描けない、とか述べていた(土屋俊かもしれない)。否定というのは、論理や言語は正確に行えるのだが、絵画には難しいのではないだろうか。逆に、言葉では原理的に説明できない絵画というのは思いつかない気もする。しかし、一方で、音楽というのは、まったく反対で、じつは言葉ではひとつも写し取れないとか?


――そんなことを考えているうちに、最終的に気づいたこと:

言語が写し取るのは結局意味(表象といってもよい)なので、写し取る意味を欠いたたとえば音楽のようなものを、言語は原理的にいって写し取ることができないのではないか。DNA配列も無意味な部分は言語に翻訳できない。


――もう一つ、またまた全然違った方向だが、最近強く思っていること:

言語なんて思考の整理役にすぎず、生物はみな全身でまたは全脳で思考しまくってるんでは?



 *


これは偶然なのだが、きのうから『ヒトの言語の特性と科学の限界』(鎮目恭夫)という本を読みはじめた。私たちが自由意志をもつと感じていることや私たちのことばに主語と述語があることが、近代自然科学が前提にしている世界像とは、合っていない、ということについて、死ぬまで考えたらしき一冊。asin:4622076322


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―追記―(2011/11/13)


驚愕! http://www.youtube.com/watch?v=gBp4NziKqE4&f


岡崎乾二郎氏のツイートより

うちの同居ねこは問いかけるとだいたい返事をして、場面ごとに異なる言い方(意味に対応したパターンがあります)、メッセージはひとつではありません『こうしてこうなるけれど、どちらを選ぶ?』というような複雑な状況指示もある程度理解して複雑な場合は行動で示します http://twitter.com/#!/kenjirookazaki/status/135555324244525056

スーパーエゴはないかもしれませんが、とくにネコのプライドというものは(冗談に聞こえますが)人以上の相当なものです、プライドを守るためにハンガーストライキをしたりする。このプライドは(社会的なものに媒介された)超自我でない、だとすると何に支えられているのか http://twitter.com/#!/kenjirookazaki/status/135560961577861120

この意味でねこや、犬のもつ論理性というのは大変なものです。ルール(約束)をもつ。不合理なものを受け入れない。約束を破る事に対する厳しさたるや。この猫がもつ論理性と倫理、プライドは密接に繋がっていると思います http://twitter.com/#!/kenjirookazaki/status/135561793190895616