先日の続きで思い出したことがある。
「美しい国であるなら年金が出る」が正しいとき、
「年金が出るなら美しい国である」(逆)は必ずしも正しくない。
「美しい国でないなら年金が出ない」(裏)も必ずしも正しくない。
「年金が出ないなら美しい国ではない」(待遇…いや対偶)は必ず正しい。
*トラックバックを受けて訂正しました
こうした推論は、文では分かりにくいが、ベン図にするとすぐ分かる。
(このブログで何度か述べている)
しかし、以下はどうか。
「自分自身に投票したくてもできない候補者はいるが、(丸川)
自分以外の候補者に投票するような候補者はいない」
はたしてこれは、文より図のほうが分かりやすいか?
もっとシンプルに、
「絆創膏を顔に貼るような大臣がこの世に存在しないわけではない」
これはどうだろう。そもそも明瞭な図になるだろうか?
いわゆる述語論理は、図よりも文または式にしたほうが
正確なのではないだろうか(なんとなくそう思う)
加えて。
そもそも絵にできるのは「〜がある」のみであって、
「〜がない」は絵にできない、という主張を読んだことがある。
つまり「虎がいる議場」も「姫がいる議場」も「ヤンキーがいる議場」も
絵にして表現できるが、
「虎がいない議場」とか「パパがいないゴルフ場」とかは、
どうやって絵にしたらいいのかと問うのである。
要するに「否定は絵に描けない」という主張。
「×」をつければいい、という気もするが
「×」は絵ではなくて文か、という気もする。
しかしそんなことを言い出すと、
「→」も絵ではなく文であるような気もしてくる。
本日の結論:否定って何だろうヨ ¬(・∀・)∃