東京永久観光

【2019 輪廻転生】

はかないからといって薄く短いわけではない


夕凪の街 桜の国こうの史代asin:4575297445

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あっけないほど薄く短いが、絵を一コマ一コマ丁寧に眺め、場面を一つ一つ解きほぐし、ゆっくり読み進むほうがいい。折り畳まれていた思いや繋がりがどんどん湧き出てくる。考えてみれば、3世代にわたる人物たちが生涯を通して抱えてきたものを語り抜こうとしているわけで、つまり、実際はとても濃くとても長い物語なのだ。

それに、そもそも漫画とは、動作や表情や服装を、風景や建物や小物も、いちいち作者が描くのだから、どんな風にするかどんな物にするか、やっぱりいちいち考えないと出来上がらないはずだ。これが映画の撮影なら、たまたまそこにあった物が図らずも写り込むということもあるだろう。しかし漫画の場合それはなくて、あらゆる描写に作者の拘りがことごとく現れるのではないか。読む方もそれをいちいち受けとめようとして読むかぎり時間がかかるのは当然だろう。それでけっきょく、漫画に感動するというのは、すなわち絵にこもった固有の感受性を直に味わうことなのだと、改めて思う。私が『夕凪の街 桜の国』に惹かれたのは、なにしろそこに描かれた皆実や七波や京花に惹かれたということに他ならない。

ちなみに、この漫画は、文章も非常に考え抜かれていると感じる。《広島のある日本のあるこの世界を 愛するすべての人へ》がそうだ。よく指摘される《十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て 「やった! またひとり殺せた」 とちゃんと思うてくれとる?》もそうだ。クライマックスになる《生まれる時 そう あの時 わたしは ふたりを見ていた》《そして確かに このふたりを選んで 生まれてこようと 決めたのだ》ももちろんそうだ。

絵については、きっとなおさらとことん考え抜かれて描かれているに違いないのだ。だが、絵については文のように切り取って拾い上げて示すことが、残念ながら自分に対しても難しい。たとえば、足や手の指の描き方が妙にリアルで気にとまる、くらいのことは言えるが。

そこで、たとえば以下の解読など読めば、いろいろ考え抜かれていることや絵の力ということが、だいぶ分かるのではないか。
http://www.web-cri.com/review/misc_yuunagi-sakura_v04.htm
http://sho.tdiary.net/20041109.html#p02

まあ、どんな漫画だっていちいち手で描くのだから、すべての漫画がそういう意味の感動を伝えてきていいはずなのに、実際は何故そうでもないのだろう。不思議だ。最近ほとんど漫画を読んでいないから、好いものが少ないと思い込んでいるだけかもしれないが。あるいは、もしや多くの漫画が「締め切りに間に合わないから、そこてきとうになにか埋めて」といった要領で作られているのだろうか。少なくともこの作品に限っては、「夕凪の街」だけで1年間をかけた、と上記サイトにある。

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ところで、これは原爆の物語だからことさら悲痛でことさら劇的なのだろうか。そうとも言える。言い換えれば、この漫画は、先の戦争によって他の人には分かりえない特別な影を自らの生涯に落とさざるをえなかった人の存在に、間違いなく気づかせてくれる。

あるいはもう少し広く、昭和から始まった戦争と戦後というこの具体的な数十年を体験したり想像できたりする範囲で、私たちはこの物語に強く感動しているとも思われる。

しかし、もっと普遍的なものもあるかもしれない。

私たちは何十年か生きていれば、なんらか大切な者に出会い、ときには大切な者をいきなり失う。人は大抵そういうことを経験するだろう。あるいは、若いころの自分をよく覚えているが、若くなくなった自分もよく知っている。親しい者や身内の者にもまた辛い出来事はあり美しい出来事もあった。それらが互いに積み重なり、めぐりめぐり、やがて昔とは違っていった互いの今がある。それを振り返り見据えること自体が、そしてその時の長さや時の戻らなさを思い知ること自体が、誰にとっても無情でありかつ温かいものなのではないか。そうした実感を踏まえてこの物語に泣くところもあると思う。

ただしもうひとつ。この物語は大切な相手や大切な自分が理不尽に失われていく話ではあるものの、最後は新しい出会いをいくつも予感させて終わる。そこがまたいいと思う。弟の凪生と東子はふたたび近づき合う。母を亡くして年老いた父にも合コン相手がいるらしい。七波も幸せな出会いがきっと待っている。もちろんそれがまたもや悲しい別れにつながらないと断言はできなくても。

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はかないからといって薄く短いわけではない。(べつに海水パンツのことではない)

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映画も見ようかな。