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【2019 輪廻転生】

『電車男』に注目するのは…

電車男』についてコメント(16日)をもらいました。返答をここに書きます。

2ちゃんねるというのが言論の場として史上空前の特異さをもっていて、『電車男』という奇妙な秩序もそれなしには生成しなかっただろうという点が、やっぱり見逃せないと思うのです。

それと、小説は常に書き手が一人ですが、その前提をあらゆる小説がなぜか守り抜いていることに、『電車男』がふと気付かせ、なかなか不思議に感じたということもあります。とはいえ、「小説は一人の作業だからいいのだ」とは思っています。となると、『電車男』は小説の仲間ではなく、したがって小説との比較もできない、というのが結論かもしれません。しかしこれを言い換えれば、「物語」や「小説」の範疇に入らない新種の言語表現が出現した、ということにはなりませんか? 2ちゃんねるは「連句」みたいだといった指摘もありましたが(鈴木淳史『美しい日本の掲示板』)

言語表現というのは、古代から現代までずっと、時に大きく時に小さく揺れながら、たえず新しい形式を生成してきたと思うんですが、2ちゃんねるは、そうした変動が極めて速いスピードで日夜起こっているというふうにも見えます。そこは特別に注目していいと思うのです。「アパム」のくだりなど、日本文学がじわじわ培ってきた綾を一瞬にして体験してしまったかのような気がしました(オーバー?)。

あと、『電車男』がすべて事実ではないにしても、小説がときに事実を踏まえるというのとは明らかに違った意味で、この話が事実らしいという点は、ちょっと大変な事態なのではないでしょうか。「これホントにホントかもしれないぞ」というワクワク感は、意外に小説にはないのでは? ということです。それと、私はスレッドのまとめを読んだだけですが、リアルタイムで読んだ人は、この文章表現の生成とともに読み進み、ときには生成に直に関与すらしたわけで、それもまた大変な事態だと思います。

なお、『電車男』の中身が古典的な骨格を持った恋愛物語だという点ですが。仮にそうだとしても、それは長所ではないにしても、短所というほどでもないと思うんですよねえ…。ともあれ、私がこの表現物の中身より成り立ちそのものに注目してしまっているのは、間違いなく事実のようです。

ちょっと参考:
http://yukihiro.z1.bbzone.net/diary/index.php?cfg=cfg.php&dpone=200412171215


参考追加:
http://ishbash.blogtribe.org/entry-71ba8717b69581140e0b1d22657ed60a.html


これまで『電車男』について触れた私の日記も:
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040529
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040622
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20041024
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20041216