ブライアン・グリーンの近著を読んでいる。『時間の終わりまで』
語る言葉がすべてキラキラ輝きながら息を弾ませながら近づいてくる。宇宙について、私たち自身について、わかっていることのすべて。
そのうえで著者は痛烈に思い知る。宇宙はいつか必ず終わってしまうということを。そしてもう1つ。生命や意識や言語がどれほど稀有なものであるかを。しかもそうした稀有な私たちも、宇宙の長さに比すれば中間的な存在でしかないこと。そして、君も私もやはり必ず死ぬということ。
こうした知見や視点からの世界の総論・人間の総論だからこそ強く共感できる。
『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』(ブライアン・グリーン,青木 薫)|講談社BOOK倶楽部
[4月21日]
ChatGPT、もしも中の人がブライアン・グリーンだったら、それこそエンドレスで質問したくなるだろう。世界はなぜある? 意識って何? 言葉はいつできた? でもぜんぜん違う(ブライアン・グリーンのようには答えてくれない)のであった。
トマス・アクィナスはこの世の理りを神と人とキリストの3部作で語り尽くそうとした(神学大全)。世界の総論のような本は現代の賢者もときどき書く。たいてい宇宙、地球、生物、人間などなどの章立て。『時間の終わりまで』もその趣旨の1冊のようだ。「神」の代わりに「エントロピー」と「進化」。
そして、意識の成り立ち、言語の始まりという、まだ誰も解いていない謎については、サイエンス大全を語る誰もが語る。ブライアン・グリーンも語る。
誰もが探らずにはいられない言語の謎を同書はどう探るのか。興味津々で読んでみると―― それは数学や音楽に似ていそうで、でもそれらとは違うね、ということをまず述べる。なるほど〜いや〜その通りだよ〜と思う。
[4月28日]
同書は<宗教は科学とは違う>と控えめながらはっきり言う。しかしはっきりながら実に控えめなので、読み過ごすかもしれない。「神は妄想である」のドーキンスあるいはピンカーが宗教を強烈かつ辛辣に痛めつけるのに比べ、ブライアン・グリーンはなんて真摯でなんて紳士なんだろうと心が温まる。
しかしながら… 「超自然的な行為者」ーー宗教や神をめぐる信念とはつまりそれなのだと、ボイヤーという人を引用しながら著者は見通している。これはドーキンスが「宗教とは、要は、いたるところにエージェントが見えること」と括ったと同じことだろう(『神のいない世界の歩き方』)
同じようなことに私も自ら気づいたことがあったので、こうした言い方には非常に納得・共感してしまうのだった。
「宇宙には感情も人生もない」
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20160917/p1
しかし問題は、いないはずの「超自然的な行為者」や「エージェント」が、ついいるつもりで日々を送っているのは、何故なのかだ。私たちの多くが「宇宙にも感情や人生のようなものがある」とどうしても感じてしまうのは、何故なのかだ。ブライアン・グリーンはそこを冷静に考察している。
言い換える―― 神というものや魂というものが、無いということなんて、よく考えてみればほぼ明らかだろう。それなのに何故…。何故わたしたちは、神や魂がまるで有るかのように思い込んでしまうのか? まるで有るかのように言いつのってしまうのか? ブライアン・グリーンは次のように考察する。(続く)
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