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【2019 輪廻転生】

宇宙には感情も人生もない――無神論2016


ことしの夏、いろいろあって、天国や地獄というものがたぶん無いのと同じように、宇宙や人間の特別な意味というのもやっぱり無いのだろうなと、気持ちを切り替えることになった。(我ながらなんとも崇高な告白だ!)

ただまあ、ここで「無い」というのは、「これまでに十分なじんできた手持ちの理屈では説明できない」ということにすぎない、とは言える。そうした説明のできない神秘ななにかに心が揺れることは、昔も今もある。

しかし、それ(神秘)は、言い換えれば、漠然としたまま「はっきりさせられない・はっきりさせたくない」ということだ。

さてそれで、この「漠然とした神秘」の正体は何だろうと考えていて、そうか、それって「人間が持っている感情や人生みたいなものが、人間以外の事象にも備わっているような錯覚」というふうにまとめられるかも、なんてことに気づいたのは、ようやく涼しくなってきたここ数日のこと。

繰り返す。「漠然とした神秘」とは、私やあなたが持つ感情のようなカラクリや人生のようなスジガキを、たとえば山や川が、たとえば太陽や月が、たとえば自動車や冷蔵庫が、たとえばパチンコ台やサイコロが、同じく備えているかのように思い込むことだ。

そして、死んだ人の感情や人生が、生きている人の感情や人生と変わらない状態で持続していると思うからこそ、霊魂や天国や地獄を感じることができる。この宇宙の全体に何らかの精神(感情)や物語(人生)のようなものを想定するからこそ、神を信じることができる。

しかし。山にも太陽にも自動車にもパチンコ台にも、感情や人生なんて無いのとまったく同じく、この宇宙全体とか地球の生態系とかホモ・サピエンスという種全体とかにも、感情(精神)や人生(物語)というものは、実は無いのだ。

精神とか物語とかいうものは、ひとりの人間のサイズにおいてはとてもリアルだが、天体や生命が同じようにリアルではないだろう。宇宙や地球や自然を軽んじているのではない。人間を軽んじているのでもない。それぞれに重いカラクリやスジガキがあろうが、それが同列に並べられはしないということ。

とはいうものの。ここでまた話が元に戻るが―― それでも私は、正直に言えば、この宇宙に私やあなたが存在していることには何か特別な意味があるだろうという、「漠然とした神秘」を今なおどこかに探ったり感じたりしてしまう。冷静に考えれば「そんなものは無い」とわかっているにもかかわらず。

改めてまとめるなら―― 宇宙の意味とか神とかを ときに感じたり探ったりしつつも、本当はそんなもの無いとわかっている、という立ち位置は、サイコロや冷蔵庫のふるまいに感情や人生があるかのように思うこともできるけど、ホントはそんなものあるわけないよね、という立ち位置と、同じなのだ。

そして今日は新しいことも1つ言っておきたい。宇宙や自然に精神や物語を感じたり探ったりするのは、宇宙や自然を愛したり敬ったりすることでもあろう。もちろん、愛する・敬うというふるまいは人間どうしにおいてのみリアルな事象だが、それでも私たちは宇宙や自然を愛したり敬ったりする。

宇宙や自然を愛し敬い、そこに漠然とした神秘を抱く。それを神と呼ぶ人もいるだろう。このように、宇宙や自然に神秘を見ることを、私たちは理解しようではないか。

そうして(ここが新しい内容なのだが)、同じく、たとえばアニメの主人公やゲームの時空間を愛し敬いそこに漠然とした神秘を抱くこともまた、私たちは理解しようではないか。

そしてまた、人工知能やインターネットやビッグデータといった漠然とした神秘を、うっかり愛し、そこに感情や人生まで読みとってしまい、ついには魂や神と名付けたい衝動にかられたとしても、それを理解し許容しようではないか。

ついでに言っておきたい。宇宙やクォークについて考えることは、野球やセールスについて考えるのと同じように、実は神秘でもなんでもないのだが、宇宙やクォークをめぐって漠然とした神秘を感じ、うっかり神を感じても、まあそれは仕方ない(つい最近まで私もそうだった)

何に神秘を感じ何に神を感じても、人それぞれだからだ。ただし、神秘や神を感じるときには、そこに漠然性や曖昧さをあえて残していることも認めたほうがいいだろう。宇宙やクォークの理論をクリアに探っている人は、たぶんそこに神秘や神は探らないだろう。

宇宙物理学や素粒子物理学に、難解であるがゆえの崇高さや神秘をずっと感じていて、でもやっと「あ、これって神とか関係ないかも」と、わりと最近気持ちを切り替えたのだが、同じような崇高さや神秘を、少し遅れて進化ということについても、私は感じていた。

でも、進化もまた、ごく当然の因果やごく単純な事実の積み重ねとして理解したほうがよい。そう気づきつつある。進化は神秘ではない。生命の誕生もおそらく神秘ではない。ここにもたぶん神はいない。

(いや、だから、もちろん、理論物理や生物進化に神秘や神を、つい感じとってしまう気持ちも、私たちにはふつうにあるから、それも理解し許容し共有しましょう!)

 *

この自問自答を「宇宙に意味があるか」という壮大なテーマとしてみれば、私の考えはこれまで以下が基本だったが、この夏、大きく転換したことになるかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20091111/p1