自ずと流され今日も考えている――宗教について。
たまたま少し前に村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」を読み、神を信じる大物語ではなく小物語として奇妙に着地した感があった(ある読書会のために読んだのだが急な仕事で参加できず非常に残念)
その前にはやはりたまたま『星の子』(映画と小説)に感じ入るところがあった。こちらは奇妙な着地ではなく、さっぱりと腑に落ちた感があった。宗教とは何かをいわば世俗的にわからせてくれる作品なのかもしれない。
その対比では「神の子どもたち」はいくらか神学的(哲学的)なのかも。しかしそんな対比より、まさに村上春樹的=ああ村上春樹を読んでいるという独特の感じが極めて強かった。全体のまとまりも見事に思えた。宗教に騙されるとは、こうした言葉に騙されるのと似ているか違うか? などと今 思う。
その流れで「神の子どもたち」の1か月後に発表されたという「タイランド」を、昨夜読んだ(これは初読だった)。《言葉は石になる》というフレーズがあり、それがまさに石のように心に残る。それを含め非常に面白く、なにかを考えさせられる・語りたくなる見事な小説だった。
つまり、村上春樹の術にハマったのだ。「言葉は石になる」という呪いもしくは救いのお告げにあまりにもすっぽりと。とはいえ、小説にハマるのと宗教にハマるのは全然別のことだ。違いを吟味するのが無駄なほどに。だいたい宗教にハマるのは小説にハマるのと違って心地良くないだろう? 違うのか?
(7月14日)
「神様はいつできたのか?」という問いは、「言葉はいつできたのか?」という問いと並んで深く難しいが、前者は人文科学が、後者は自然科学がそれぞれ扱っているようにみえる点が、ともあれ興味深い。前者はやや想像しやすく後者はかなり想像しにくい。私にはそう思われる。
★『神のいない世界の歩き方』
世界の「見方」を更新する抜群の手腕――リチャード・ドーキンス『神のいない世界の歩き方』解説:佐倉統(東京大学大学院情報学環教授)|Hayakawa Books & Magazines(β)
「汝、この本を読みたまえ」ーーたった今この啓示が私の耳に聞こえてきた。
「これは陰謀論だ」という啓示が聞こえている人もいるだろうが。
図らずもまた神。今年は、宗教の是非ということが国民的議論のテーマになっていくのかもしれない。米国の中絶をめぐる議論もそこに帰結するだろう。
これからの「宗教」の話をしよう …てな感じ。
(7月20日)
Religion beyond atheism.
— Ken Mogi (@kenmogi) 2022年7月19日
Being an atheist is rather trivial at this stage of human intellectual development. Seeking non-trivial hypothesis about existential questions is always interesting, especially when equipped with some sense of humour.#kenmogi https://t.co/rCCppyQPKs
茂木健一郎さんが、朝っぱらから早口の英語と寝起きでも変わらない髪型で、きわめて興味深い見解を喋っているようだ。<ただの無神論ではこの素晴らしい世界や存在は説明しきれない>的な? おーわらわんだふぉーわーるど!
日本語版が先にあった(内容同じかどうかは不明)
今だからこそ敢えて言う、「宗教」にぼくが求めること
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2022年7月19日
この一週間、いろいろざわざわしますが、ぼくはこう考えます。#茂木健一郎 #脳の教養チャンネル #もぎけんの時事評論 https://t.co/NQVZPKsr99
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2022/08/05/000000 に続く