読んでいる。結局こういうものを読むことになる。私がなんだかんだと今なお考えあぐねていることに、ウィトゲンシュタインはとっくの昔から突き当たっていたのだろう。突き刺さっていたというか。
《世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、そのことが神秘なのである》――いかにもわかったふうな物言いで困るが、しかしやっぱり最大の謎は結局それだね、と思いつつ、いやそれもなんかわかったふうな物言いか… 自身への不信は残る。ウさんはまったく自分を疑わなかったのか?
ウさんもすごいが、イさん(池田晶子さん)もすごい。『死とはなにか さて死んだのは誰なのか』を拾い読みしているが、おそらく同じことを考え抜いていた。最後の「死とは何か――現象と論理のはざまで」は、亡くなる直前に準備した講演の口述だという。壮絶というより親近感が漂ってくるのは不思議。
古田さんは、ウィトゲンシュタイン研究の本流を踏まえた新しい語り手として注目されているのかもしれない。たとえば野矢茂樹さんはマックスの驚きをまるで飛んだり跳ねたりする体で伝えていたのに比して、古田さんは同じ驚きを妙に淡々とつづっている感じがする。
『論考』の中で唐突にも思えていた、さっきの《世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、そのことが神秘なのである》にも、わりと長くつきあっている。この一節がまるで火鉢の前でただじっくり温められていっているような感じがしてくる。
厳冬なのでそんな感想なのかも…