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【2019 輪廻転生】

★飯田隆『ウィトゲンシュタイン 言語の限界』再読

またウィトゲンシュタインの話で恐縮だが(貴乃花の話とかでなくて恐縮だが)。飯田隆ウィトゲンシュタイン 言語の限界』(講談社 現代思想冒険者たちシリーズ)もまた、野矢本、鬼界本と合わせ、昨年12月から読み返している。

 ウィトゲンシュタイン―言語の限界 (現代思想の冒険者たち)

この本はバランスのとれた解説書として評判がよいようだが、とりわけ私にとって味わい深く愛すべき本であるのは、著者が最初から「ウィトゲンシュタインのことをきっちり書くなんてだいたい無理ですよ、じゃあ気軽に書こうかというとそれも無理ですよ」(主旨)といった体で腰が引けているところ。

読み進んでいっても、ウィトゲンシュタインの書いたものが極端に取っつきにくいこと、ウィトゲンシュタインの人となりが極端に付き合いづらいことが、やけに強調され、それが繰り返され、しだいにボヤキ漫才の趣きになり、ついにはウィトゲンシュタインの難しさへのグチが漏れてくる感じ(愛すべき本)

あとがきですら――《ふつう、論文を書き終えたとか、本を書き上げたというときには、それなりの高揚感が伴うものだと思う。だが、正直なところを言って、いまの私はあまり楽しい気分にはなっていない》

さて、同書のまえがきに《通常の意味での思考が、ウィトゲンシュタインにあるかどうかも疑わしい》とあるのが、大いに引っかかる。飯田先生は別のところで、『論理哲学論考』でウィトゲンシュタインが《理論を提示していると考えることが、この書物の誤った解釈》とも書いている(下のリンク参照)。う〜む。

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20170301/p1

「学術論文に求められる要件を備えていない」といったことでもあろうが、しかし「思想がない、理論の提示でもない」というのだから、そんな単純なことではすまない。巨大な気がかり。「理解できなくても、味わえばいいんだね」と開き直りたいようで、もはやそれではまったく引き下がれない。