https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2023/07/10/000000 からの続き
↓
大事なメールほど返信が遅れるという法則がある。大事な書物も同じだ。感想がはなはだしく遅れる。今年は野矢茂樹『心という難問』がそうだ。もう秋も深まった。なんとか片付けるべし。(いや、やっつけ仕事にしたくなかったのだから、やっつけ仕事には決してしないと心得よ)ーー感想という難問。
*
著者は<リンゴが見えているときはリンゴそのものを見ているんだ>と考える。その実感を手放したくない。私たちの多くは「意識というスクリーンに投影されたものをみている」と思っているが、そうするとリアルな世界はその背後に姿を消してしまう。それは違う、それが嫌だと言うのだ。
著者の立場は哲学で素朴実在論と呼ばれる。しかしこの立場では困ることもある。深刻な1つは<他人の心というものは、見えていないのだから、あるのかどうか、わかりようながい>というものだ。漫画を描いて自分の頭には吹き出しを描けるが、相手の頭には吹き出しを描けない!(みたいなこと)
*
ものごとは私や君が見ているとおりに感じているとおりに世界そのものとしてそこに在るんだ!ーこの強い実感と信念を駄々っ子のごとく握りしめ、野矢茂樹は、読者全員にわかる用語でその理論を整理する。自身の哲学の集大成かと思わせる厳かさとともに。
その理論は、私たちの世界の捉え様を「眺望」と「相貌」の2つが組み合わさったものとして説明する。眺望には視覚などの空間をベースにしたモードと痛みなどの身体をベースにしたモードの2つがある。相貌はものごとには意味(概念や物語)があることの言い換えであり、つまり言語がどう絡むかだ。
平易にしてエレガント。<素粒子にはフェルミオンとボソンがあります。フェルミオンにはクオークとレプトンがあります。以上終>ーこれぐらいエレガント。何より「あ〜そうかなるほどホントにそうなってるかも!」という理論であることが素晴らしい。(素粒子の標準理論が実感できないのに比べて)
<以下、出版時の反響から、印象深いものを、いくつかリツイート>
d_sake_u on X: "これの一番上、野矢茂樹『心という難問』っぽい https://t.co/zUUVnQDuij" / X
(がんがん続く予定)