「あんたって昔から、自分に何が必要なのか全然わかってなかったわね」「そうかもしれんが、自分に何か必要ないかはわかってるさ」――チャールズ・ブコウスキー『パルプ』から(柴田元幸訳・ちくま文庫)……なおこの会話は別れた妻とふいに出くわしたときのもの。
筑摩書房 パルプ / チャールズ・ブコウスキー 著, 柴田 元幸 著
暇があるので読書は乱読。『パルプ』も(再読のはず)。遺作とのことで「俺はもういろんなこと、わかったよ」というつぶやきばかりの小説かと感じられる。たしかに、人生とは何か、世界とは何か、つかみあぐねてばかりだが、「これではない」ということだけは確実に積み上げられてきた感はある。
高橋源一郎がパルプをこう評していた。
あの作品の、柴田訳のブコウスキーは僕の文章の理想像です。柴田さんは翻訳なさったからわかると思いますが、あの文章は、間違っているというか、おかしいというか、コードと言えば大衆雑誌のコードに一応従っているんですけれども、でもあの文章を従っているふりをしているだけで、いかなるコードにも従っていないように見えます。コードで遊んでさえいない。
ブコウスキーは、どうすれば知らないように見えるか、本能的に知っていると思うんです。それは、要するにきわめてインテレクチュアルな作者だということです。知らないようなふりをするなんて、まだダメです。それがあの人はできてしまう。あれが、小説の文章として、僕の理想像なんです。美文ではない。だが、ある意味すごく美しい。
『文藝2006年夏号 特集高橋源一郎』から 高橋源一郎連続インタビュー(聞き手柴田元幸)「小説より面白いものは、この世に存在しない」
上記の前に以下のことも述べている。
僕の願望ははっきりしていて、ここ何年か、いかに下手な、ダメとしか思えない形の文章で小説が書けないかと、ずっと考えています。もちろんいま「下手な」とか「ダメな」といいましたが、美しいものについては形があります。でもものすごく極端なことを言うと「下手な」「ダメな」というものには形がない、というか、それは要するにコードに則っていないものなんですね。美しいものは、だいたいコードに従っていると思うんです。
……『パルプ』の話というより、高橋源一郎の話になってしまった。
(後日)
『パルプ』を読み終えたので、以下、ほんの少し付箋を貼っていたところを、抜書きする。
《その日のあとは省略。何もなし。話しても仕方ない》p.52
わりと毎日、こんなかんじの終わり方。
《俺はマクドナルドに車をつけて、フレンチフライのL、コーヒー、チキンバーガーを注文した》p.94
この日も、こんな終わり方。
《いまは帳簿整理の時だ。俺の人生の帳簿整理。全体的にいって、人生でこれをやろうって思ったことはもうだいたいやった》p.225
この作品は遺作。
《最高の時間は何もしていないときだって場合も多い。何もせずに、人生について考え、反芻する。たとえば、すべては無意味だと考えるとする。でもそう考えるなら、まったく無意味ではなくなる。なぜならこっちはすべての無意味さに気づいているわけで、無意味さに対するその自覚が、ほとんど意味のようなものを生み出すのだ。わかるかな? 要するに、楽観的な悲観主義》p.226
《ドアがコンコンと鳴った。俺はデスクから足を下ろした》p.226
イベントの始まりは、いつも、こんなかんじ。探偵事務所という設定は、エピソードを自然にたやすくスタートさせることができる。
《足音が聞こえた。ドアが開いた。(改行)目もさめるような美人だった》p.230
だいぶページが進んでしまっているが、相変わらずだ。ここまでの登場人物も、たいてい、こんなかんじだった。
《「あなたって、個性的にハンサムだし。自分でもご存知でしょ。しっかり生きてきたっていう感じの顔だちよね。すぼくチャーミングよ。たいていの男って、しっかり生きてやしないでしょ、ただすり減るだけ》p.232
テレビドラマ『探偵物語』の松田優作も、女性にモテるし、きわめて個性的。
《「何かお飲みになる?」「ぜひ。スコッチアンドソーダはある?」》 p.233
主人公は常に酒を飲んでいる。
《俺はデジャから葉巻を受けとった》p.234
タバコも同様。
(自身の生涯を総括しつつ)《そのなれの果てが、いまの俺だ。ぼさっと座って雨音を聞いている。ここで俺が死んでも、世界じゅうの誰ひとり、一滴の涙も流さないだろう。べつに流してほしいわけじゃない。でも不思議だ。人間、どこまで独りぼっちになれるのか?》p.252
自身の人生の総括をもっとも正しい内容と気分で行うとしたら、このような表現に行き着くのだろう。この表現は、高橋源一郎が言うように、じつはそう簡単に行き着くものではないのだろう。蒸留酒で酔わせるような効果を伝えてくる。
《どこへに行きやしない。世の中そうなっているのだ。俺はもう四分の三死んでる。テレビのスイッチをつけた》p.252
テレビから流れてきたのは、女性派遣サービスのコマーシャルだった。