自分の国が攻め込まれたら私は命をかけて戦う。――はっきりそう考えはっきりそう言う人がこの日本にもかなり多い。そのことが今回のことでよくわかった。仮に国というものが幻想だとしても、そう考えそう言う人がいる事実、そして今ウクライナの人が実際にそうしている事実を、無視できるわけがない。
とはいえ―― ウクライナのある一人が、このあいだまで知りもしなかったロシアのある一人を、殺さなくてはならない。しかも日々のニュースはどれもそのほんの一例にすぎない。そんなことがどうしたって受け入れがたいのも、私における事実だ。
そうした事実は、先日まではずいぶん遠いところにあったのに、にわかに近いところにやってきてしまった。その変化そのものがまた避けがたい事実のようだ。それに揺さぶられながら、私たちは、まったく新しい境地を、どうにか見出したり、なかなか見出だせなかったりしている。